北海道立文書館 展示(移転前)

令和1年(2019年)9月末まで北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)内に設置されていた、文書館常設展示室のご案内です(現在はありません。)。企画展については、企画展のページをご覧ください。

tenjishitsu.jpg

文書が語る北海道の歴史

A 全体説明

赤れんが庁舎(ちょうしゃ)の中には、北海道の文書館(もんじょかん)〔☞Q〕があります(注―令和1年(2019年)9月末までで、現在はありません。)
この展示室(てんじしつ)は、明治維新(いしん)後に新政府が設けた「開拓使(かいたくし)〔☞E〕の手で、強力に近代化が進められた19世紀後半の北海道の様子を、文書館の所蔵(しょぞう)する文書や写真などを使ってお見せしようというものです。

t-fig-4.jpg
蝦夷地を北海道と称すること、開拓使が設置されたことなどを伝える明治2年の文書

展示資料解説-エントランス~島義勇の書簡~ (PDF 923KB)

B 東西蝦夷山川地理取調図

この地図は、まだ北海道が「蝦夷地」と呼(よ)ばれていた江戸(えど)時代の末期に、松浦武四郎(まつうら・たけしろう)という探検家(たんけんか)が、幕府(ばくふ)の命令により蝦夷地全域(ぜんいき)にわたって、各地で先住民族=アイヌの人びと〔☞J〕に道案内してもらいながら調査して、描(えが)き上げたものです。河川(かせん)や集落など内陸の様子まで丹念(たんねん)に記入し、高低を「ケバ」で表現するなど、この時代の一大傑作(けっさく)と評価されています。ただし、海岸線などは伊能忠敬(いのう・ただたか)らの測量によるものです。また、実地調査できなかったところは聞き書きによったとしています。
松浦武四郎は、その後、蝦夷地に新しく名前をつける〔☞E〕にあたって候補(こうほ)をいくつかあげており、そのうちの一つ「北加伊道(ほっかいどう)」が「北海道」のもととなりました。そのため「北海道の名付け親」とも呼(よ)ばれています。

展示資料解説-東西蝦夷山川地理取調図~はじめての北海道詳細図~ (PDF 498KB)

C 開拓使の時代

文書館が所蔵する資料は、北海道の歴史研究や、この展示室を作成するための根拠(こんきょ)となっています。

D 箱館戦争の余燼

北海道南部の箱館現在の函館(はこだて))を中心とする地域(ちいき)は、明治維新のときに、旧(きゅう)幕府軍と新政府軍との最後の戦場となったところで、そのときの箱館の混乱(こんらん)の様子が文書に記されています。

E 開拓使の誕生

明治2年(1869)、新政府は「開拓使」を設置し、それまで「蝦夷地」などと呼ばれていたこの地を「北海道」と命名〔☞B〕しました。
新政府は、開拓使に強大な権限(けんげん)と予算を与(あた)え、札幌(さっぽろ)に政治・経済(けいざい)の中心都市を建設しました。その象徴(しょうちょう)として、洋風の開拓使札幌本(ほん)庁舎(ちょうしゃ)が建設されました。赤れんが庁舎のすぐ北側に跡地(あとち)があります。

展示資料解説-分領支配 (PDF 691KB)

F 模型 草創期の札幌

これは、開拓使札幌本庁舎が完成した明治6年(1873)当時の札幌市街地の姿(すがた)を、当時の地図、写真、それに税金を徴収(ちょうしゅう)するための書類などを参考に、復元したものです。開拓使は、庁舎を中心とする城下町(じょうかまち)のような近代都市を、原野の中に計画的に作り上げました。中央の広い通り(現在の大通)の北を官用地、南を町屋(まちや)地区(人民が住む地域(ちいき))と定めました。この当時の札幌の人口は1,949人、現在札幌はその約1,000倍の196万6千人が住む都市になりました。
この時期の開拓使庁舎構内は、果樹園(かじゅえん)として利用されていました。模型(もけい)に点々と植えられているのは、りんごや梨(なし)や西洋梨の木で、アメリカから苗木(なえぎ)を輸入し、北海道の気候に適した果樹を選定するために試験栽培(さいばい)していました。
今の池は、赤れんが庁舎ができて間もない明治22年(1889)に、庁舎の防火用水を主目的に掘(ほ)られました。当時は水源(すいげん)となる川が構内の脇(わき)を流れていて、ここから水を引いていました。

G 北辰旗

北辰(ほくしん)とは北極星のことです。開拓使はこの赤い星を開拓使のマークとし、庁舎の屋根や船に掲(かか)げるとともに、官営工場の缶詰(かんづめ)ラベルなどにも使いました。このマークは、開拓使廃止(はいし)以後も北海道のシンボルとして、道民に長く親しまれました。

H 開拓使の事業と御雇い外国人たち

開拓使は、織物や缶詰(かんづめ)、ビールなどの官営工場を各地に作りました。また、アメリカから多くの技術指導者を招いて、その指導を仰(あお)ぎながら近代化を進めました。欧米風(おうべいふう)にパーティなどもしばしば催(もよお)されましたが、当時の宴会(えんかい)メニューを見ると、最近注目されている鹿(しか)肉がさかんに調理されていたようです。

展示資料解説-開拓使の官営工場 (PDF 749KB)

展示資料解説-御雇外国人 (PDF 495KB)

I 開拓地

初期の頃(ころ)の開拓は、戊辰(ぼしん)戦争で負けた側の士族たちが、活路を求めて団体でやってくるという形が多く見られました。士族が開拓の先駆的(せんくてき)な役割(やくわり)を果たしたといえます。開拓地としては、沿岸部(えんがんぶ)や札幌周辺にとどまり、19世紀末ころになってようやく内陸部が盛(さか)んに開拓されるようになります。

屯田兵(とんでんへい)

防衛と治安維持(いじ)と開拓推進(すいしん)のため北海道に配置された兵士。家族ぐるみで移住し、普段(ふだん)は軍事訓練のかたわら家族とともに農業に従事(じゅうじ)しました。

J アイヌの人びと

古くから北海道に住んでいたアイヌの人びとは、狩猟(しゅりょう)、漁業、採集、交易(こうえき)などを生業(せいぎょう)とし、独自の文化を形づくっていました。しかし、開拓使の政策(せいさく)により、住む場所を自由に選ぶ権利(けんり)や経済(けいざい)活動、独自の文化に基(もと)づく行動などに制限が加えられたため、慣れない生活により経済的に困(こま)ったり、文化の継承(けいしょう)がされにくくなるなどしました。

展示資料解説-アイヌの人びと (PDF 911KB)

K 教育

明治政府は、早々に近代の新しい教育を統一的に推進しました。しかし、北海道は開拓地ということで、全国より数年遅(おく)れて実施(じっし)されたり、教育内容が簡易(かんい)にされるなどし、その影響(えいきょう)は長く残りました。

L 交通と通信

開拓使は、海運や鉄道、道路、郵便(ゆうびん)・通信網(つうしんもう)のネットワーク化が人びとの入植、定着に欠かすことができないと考え、当時としては最新の技術を導入し、強力に推(お)し進(すす)めました。

M 拓殖(たくしょく)の時代へ

開拓使は「10年計画」の終了(しゅうりょう)と共に明治15年(1882)に廃止され、行政は札幌県、函館(はこだて)県、根室(ねむろ)県に、事業は主に農商務省(のうしょうむしょう)北海道事業管理局に引(ひ)き継(つ)がれました。
明治19年(1886)、北海道庁が設置され、再び北海道全体が一つの行政区域(くいき)になり、「拓殖(拓地殖民(たくちしょくみん))」が進められました。

展示室史料解説-内陸の開拓 (PDF 610KB)

N 赤れんが庁舎の紹介(しょうかい)

赤れんが庁舎は、北海道庁の庁舎として明治19年(1886)に建設が開始され、明治21年(1888)に完成しました。アメリカ風ネオバロック様式と言われていますが、北海道庁の技師が設計し、札幌近郊(きんこう)の土を使って焼いたレンガが使用されています。明治42年(1909)、赤れんが庁舎は火災に遭(あ)い、内部と屋根が全焼(ぜんしょう)しますが、レンガでできた外壁(がいへき)は焼け残ったので、それを利用して明治44年(1911)に復旧されました。昭和43年(1968)に創建(そうけん)当時の外見に復元され、明治期を代表する洋風建築物として国の重要文化財に指定されました。

展示資料解説-北海道庁本庁舎~赤れんが庁舎~ (PDF 602KB)

O 箱館奉行(ぶぎょう)所とその文書

江戸時代末期、日米和親条約により箱館が開港場となることが決まり、幕府は箱館を松前(まつまえ)(はん)(りょう)から直轄地(ちょっかつち)に変え、箱館奉行(ぶぎょう)を置きました。箱館奉行の役割は、外国人への応対のほか、箱館市中の行政、蝦夷地全体の警備(けいび)と開発など、広いものでした。
箱館戦争により、五稜郭(ごりょうかく)の中にあった奉行(ぶぎょう)所の建物は残りましたが、文書はこの時に消失してしまったと言われています。しかし、外国人への応対をした「運上会所(うんじょうかいしょ)」や、各地に点在した「御用所(ごようしょ)」などの文書は、一部が現存(げんそん)し、平成16年(2004)に国の重要文化財に指定されました。

P 文書を守る《入(い)れ替(か)え展示コーナー》

今に残る貴重(きちょう)な文書は、火災の被害を受けにくい石造書庫を整備したり、文書がなくならないよう取扱(とりあつか)いルールを定めたりという努力の結果、残されたものです。

Q 記録史料を残す

文書館は、歴史資料として重要な文書等を、皆(みな)さんが利用できるようにする施設(しせつ)です。
特に、現在も北海道庁で日々作られている公文書の中から、将来(しょうらい)歴史資料として重要になる文書を選び、引(ひ)き継(つ)ぎを受けるのが特色です。
その他、道内の個人・家・企業(きぎょう)などの文書も所蔵(しょぞう)しています。

展示室の解説書(英語版)

展示室の解説書(韓国語版)

展示室の解説書(中国語〔簡体字〕版)

カテゴリー

cc-by

page top