北海道の「道(どう)」って何ですか?
「道(どう)」というのは、律令国家 ※1の地方行政の基本区分です。起源 は古代中国で、それにならって日本でも天武朝 (7世紀後半)に成立しました。
みやこに近い5つの国(山城 、大和 、河内 、和泉 、摂津 )を畿内 ※2五カ国とし、それ以外を7道(東海道・東山 道・北陸道・山陰 道・山陽道・南海道・西海 道)に分けました。それぞれの「道(どう)」には、いくつもの「国」がありました。たとえば東海道※3には、三河国 、遠江国 、駿河国 などが含 まれていました。また、それぞれの「道(どう)」ごとに、国府 を連ねる官道 が、みやこから放射状 に設けられていました。
つまり、五畿七道 の「道(どう)」は、「国」をいくつも含むような広い地域 であり、また「道(みち)」でもあったのです。
ところで、五畿七道のなかに「北海道」がないことにお気づきでしょうか。
みやこに近い5つの国(
つまり、
ところで、五畿七道のなかに「北海道」がないことにお気づきでしょうか。
※3 「東海道」と聞くと「東海道五十三次」を思い浮かべる方も多いと思いますが、この場合は、江戸時代に整備された五街道(東海道・中山道(なかせんどう)・日光(にっこう)道中・奥州(おうしゅう)道中・甲州(こうしゅう)道中)の一つで、五畿七道の道とは異なります。
いつから「北海道」という名称(めいしょう)になったのですか?
この布告の出される以前は、「
日本には、北の境の
※4 中華(ちゅうか)思想とも。古代中国で、自国・民族を「華」として尊 び、異民族を東夷 ・西戎 ・北狄 ・南蛮 などと称して卑 しみしりぞけた思想。日本など中国の周辺国に、広くその影響がおよんでおり、古代日本でも、みやこを中心とする地域を「華」とし、王権のおよばない地域を夷狄 として、征服を正当化する思想となっていました。
北海道という名前の由来は?
松浦は、明治2年に道名に関する意見書を提出し、6つの道名
すでに古代から、東海道、西海道、南海道などがあったので、北海道という名称は、ごく自然な感じがするのではないでしょうか。
ところで、松浦はみずから「北海道人」と号していたこともあるので、結果的には、松浦の
なぜ北海道だけ「道」なのでしょう?
北海道だけが、「道 」でひとつの行政単位になっているからだと考えられます。
上に書きましたとおり、「道」は「国」よりも広い地域です。江戸時代の「藩 」は、ほとんどが「国」よりずっと小さいものでした。明治4年に廃藩置県 が行われた直後は、3府302県もありました。現在の県は「国」をいくつか含むような広さですが、それでも「道」よりは小さいものです。
北海道の場合も、北海道と命名された時に、11カ国が設定されましたが、「国」が独立した行政区域 とされることはありませんでした。明治初年、「開拓使 」という官庁が設置されましたが、その管轄 対象は、北海「道」という地域全体でした。
ところで、北海道にも県が存在した時期があることをご存じでしょうか?
開拓使は、十年計画のもと開拓を推進 しました。十年計画が満了 すると、函館 県、札幌 県、根室 県の3つの県が、北海道に誕生 しました。※5
しかし、官吏 の数ばかり増えて非効率的だとか、開拓の実 があがっていないという批判 が多く、内閣 制度発足にともなう機構改革 を機に、3県は廃止 され、再び北海道全体を管轄対象とした「北海道庁 」が設置されました。以来、北海道は全体で一つの行政区域となっています。
第二次世界大戦後は、北海道も他の都府県とならぶ普通 地方公共団体となりました。名称変更 、配置分合 、境界変更 をすることも可能ですが、そのためには、法律 で定める必要があります。
上に書きましたとおり、「道」は「国」よりも広い地域です。江戸時代の「
北海道の場合も、北海道と命名された時に、11カ国が設定されましたが、「国」が独立した行政
ところで、北海道にも県が存在した時期があることをご存じでしょうか?
開拓使は、十年計画のもと開拓を
しかし、
第二次世界大戦後は、北海道も他の都府県とならぶ
※5 蝦夷地(北海道)には、道南を根拠地とする「松前藩 」が、ほぼ近世を通じて存在していました。(江戸時代後期に蝦夷地の幕府直轄 に伴って本州に移封 《領地替え》になったり、幕末維新期の箱館戦争で榎本武揚 軍に攻撃されて藩主が津軽に敗走した時期を除きます。)
明治2年6月の版籍奉還 で松前藩は館藩 と改称し、明治4年7月14日の廃藩置県で館県 となり、9月9日には弘前県 に併合 されました。弘前県は同月23日、青森県となりました。したがって、北海道には、館県、弘前県、青森県という3つの県も存在したことになります。
青森県は、再三、松前地方の管轄 の免除を願い出、開拓使も同地方の管轄を願い出たため、明治5年9月20日、同地方は開拓使の管轄に移されることとなりました。
明治2年6月の
青森県は、再三、松前地方の
(閲覧室)
【参考
- 『新北海道史 第三巻通説二』北海道編、発行、昭和46年
- 『開拓につくした人びと 1 えぞ地の開拓』北海道総務部文書課編、理論社発行、1966年
- 『北海道の百年 県民百年史1』永井秀夫・大庭幸生編、山川出版社発行、1999年
- 『北海道の歴史』県史1 田端宏・桑原真人・船津功・関口明編、山川出版社発行、2000年
- 『國史大辞典』吉川弘文館
- 『日本史広辞典』山川出版社、1997年
- 『日本国語大辞典』小学館、昭和49年