国後島~四島で最も多くの日本人が住んでいた島~

基本情報
位置
東経 145度24分~146度35分
北緯 43度39分~44度31分
面積
1,489.9㎢
※令和7年全国都道府県市区町村別面積調(1月1日時点)参照
北海道本島からの距離
16.0km
1945年当時の人口
7,364人
概要
国後島は、根室半島と知床半島の中間、北海道本島の沖合16kmに位置し、終戦時、北方四島の中で最も多い7,000人以上の島民が暮らしていた。
千島火山脈が島を縦断しており、世界で最も美しい二重火山の一つと呼ばれ、四島の最高峰である「爺爺岳」(ちゃちゃだけ)をはじめ、「羅臼山」などの山々が連なっており、温泉も湧き出ています。その他にも、「材木岩」や「ろうそく岩」など多くの景勝地があります。
戦前は、泊村(とまりむら)、留夜別村(るやべつむら)の2つの村があり、住民の多くが漁業に従事しました。
捕ったものを加工する缶詰工場も数多くあり、中でもカニの缶詰製造が盛んでした。
また、北方四島のうちで最も樹木に恵まれた島で、林業も盛んでした。
郡・村
国後郡泊村
国後島の南半部。
1945年当時の人口は4,864人、世帯数は894世帯です。
泊を中心に、東海岸沿いの準地片道は泊からポントマリまでは辛うじて馬車が通ったが、その他の道は狭く、険しかった。
海上交通の面では泊、根室間は3時間半を要しました。
国後郡留夜別村
国後島の北半部。
1945年当時の人口は2,500人、世帯数は433世帯です。
冬の交通具にはスキーを利用したが、海岸も砂地の狭い場所では引き潮を待って岩づたいに飛ぶこともあったため、ゴム靴が便利で、結局「ゴム靴姿のスキーヤー」となっていました。
自然
火山
択捉島と同じように典型的な火山島で、島の北東にはルルイ岳(1,486m)があります。その南側には四島の最高峰で、世界的にも美しい二重火山の一つと呼ばれる爺爺岳(1,772m)があります。
爺爺岳は、外輪山のある成層火山で、昭和48年(1973年)7月に海抜500~600mの高さの北斜面と南東斜面で大規模な噴火をしています。
この他、古釜布の南西には、羅臼山(888m)、その西側には、泊山(543m)もあります。
河川・湖沼
河川は山岳型の河川で、急勾配の谷を流れ、ほとんどが東海岸(太平洋側)にむかって流れています。主な川としては、島で一番長いソコボイ川をはじめ、ポンタルベツ川、泊川、シロマンベツ川、東沸川、留夜別川、チクニ川などがあります。西海岸(オホーツク海側)に流れている川としては、シベトロ川、レバウス川などがあります。
国後島は湖沼が多いのも特徴で、最大は、東沸湖で7.14㎢あります。その他、ニキショロ湖、温根沼などの湖沼や湿原も点在しています。
植物
アカエゾマツ、エゾマツ、オンコ、ナラ、シラカバ、イタヤ、ミチヤナギ、ニワヤナギ、オオイタドリ、ナデシコ、ツタウルシ、ドクセリなど
産業
農業
昭和15年千島調査所が泊村(泊地区)と留夜別村(乳呑路地区)に試作地を設け、農作物の適否と農耕に関する試験を行ったところによると、適作物は普通作物として大麦、小麦、裸燕麦、蕎麦、菜豆(インゲン豆)、馬鈴薯、飼料作物では、燕麦、ライ麦、稗、飼料用玉蜀黍、飼料用甜菜、瑞典蕪青、赤クローバー、チモシーなどの牧草類、蔬菜は、大根、甘藍(キャベツ)、体菜(シャクシナ)、白菜、エンドウなどである。
ただ、気象の制約により農期間が短いのと単位面積の生産も少なく、また農耕適地や雇用労力などの事情から畑作専業の大農経営は無理とされていた。そのため収穫に変動の少ない安全作物を選定して食糧と飼料の自給をはかり、家畜を導入し、主畜農業に切り替える方向に進められた。
畜産業
住民の大部分は水産業者である。わずかに白糠泊と泊地区に1、2の牧畜専業者がいたが、他は水産の副業として牛馬を飼養するものが多く、管理方法も一部では冬期間(2月から4月)は舎飼または一定箇所において投草していたが、一般には年中放牧の状態で、牧野には何の施設もなかった。
林業
北海道に劣らないトドマツ、エゾマツの針葉樹が主で、既に開発途上にあり、各事業区ごとに施業計画を立て、森林経営にあたっていた。
漁業
日魯漁業などの会社経営者による、カニ、捕鯨漁業以外は、小規模な土着事業を主とし、海産物商の仕込み経営あるいは協同組合を中心とする個人経営が大多数を占めていた。
景勝地
爺爺岳
標高1,772mで北方領土で最も高い山であり、世界で最も美しい二重火山の一つと呼ばれています。
ローソク岩
そびえ立つ姿から現地で「悪魔の指」とよばれています。
材木岩

海底火山で噴き出た溶岩が一挙に冷やされてできた地形で、30m~40mの高さまで材木が集まったように見えることからその名がついています。
