北の生活文化(正月を迎えるための準備 )

 

 

北の生活文化(正月を迎えるための準備 )


 

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 北海道の年中行事は、開拓期に移住者が母村(出身地)から伝えたものが多い。そのため、家ごとに、地域ごとに異なる儀礼が伝承されているのが特徴となっている。さらに北海道の自然環境に合わせて、本来の行事日が変更になっているのも興味深い点である。
 
正月を迎えるための準備
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72. 手作りの注連縄とカドマツ(妹背牛町)
 
 北海道は、11月半ばともなると雪がちらつき、春から始めていた農作業もようやく庭じまい、秋じまいとなる。明治期から本格的な開拓に入った北海道の移住村の家々でも、母村の習わしと同様に正月準備にかかった。囲炉裏(いろり)がストーブに替わっても、丁寧に家の中の煤(すす)をはらう。

 暮れの28日ころに行われる餅つきは、つく量も多く、大人も子供も最も楽しみな一日であった。徳島県出身者はオヤ、ナカ、コと呼ばれる3人で餅をつく"三人づき"、新潟県出身者は"二人づき"など、母村と同じ習わしが、臼で餅つきをした昭和30年代(1955~)まで行われてきた。この日に、ミズキや柳の枝に餅を結わえてマユダマ、モチバナも作る。

 カドマツや注連縄(しめなわ)は、歳神(としがみ、正月神ともういう)の依代(よりしろ)として飾られる。道南地域では「正月様が来た どこから来たぐるぐる山のかげから 松 杖にしてユズの葉 笠にしてきた」と歌われるように、注連縄に今も松、ユズリ葉、御幣(ごへい)、昆布、スルメを挟むところが多い。また、内陸部の中国・四国出身者は歳神棚を作り、オソナエ12組や米一升などを供える。カドマツは、北海道ではトドマツやアカマツの枝を山林から採って玄関の両脇に飾ったが、近年は森林保護の立場から松を印刷した代用紙を用いることもある。

※神がおりてくるときの媒体となるものを指す
 
正月三が日と松の内
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74. 初もうで
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75. かるた(百人一首)とり・昭和27年 76. 雑煮
 1月1日を一年の始まりとして、人々は希望を託してこの日を迎えてきた。暮れの31日に歳神を迎え、除夜の鐘を合図に若水(わかみず)を汲み、初火(はつび)または二年木を焚(た)きながら氏神(うじがみ)に参る。 また、かつては元旦の朝は女が起きるものではないとして男が起き、こうした一連の儀礼を行う家々がみられた。初火には、パチパチという音から縁起が良いとされ、また、マメに暮らせるようにとの願いから大豆の豆殻を用いた。福が掃き出されないようにと、この日は掃除も避ける。

 雑煮(ぞうに)は今でも地域性豊かな正月料理の一つだ。移住当初から母村の風味で正月を迎える家が多い。香川県や徳島県出身者はアンコ餅(大福餅)に味噌味の雑煮を、石川県や鳥取県出身者は小豆雑煮、東北・北陸出身者は角餅に醤油(しょうゆ)味の雑煮を現在も受け継いでいる。

 道南地域では、3日を”サンガニチ”5日を”ゴカニチ”と呼び、家によってアンコ餅、ゴマ餅、キナコ餅などを作る。また1月7日は”マツ引き”と呼び、注連縄を下ろす。

 内陸部の開拓移住村の兵庫、宮城、新潟県出身者は、この日を七草(ななくさ)と呼び「唐土の鳥が渡らぬ先に七草叩(たた)く」と唱える”たたき菜”と”七草粥”(ななくさがゆ)の習わしを伝える。真冬の北海道では七草の代わりに大根、ニンジン、ゴボウなど手に入る野菜と餅を加えて七種とした。

 ”板がるた”の下の句読み百人一首は、正月の楽しみであった。
 
小正月・オシロイまつり
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77. 初午の直会(なおらい)(北檜山町) 78. 鵜泊稲荷神社(北檜山町)
 
 道南地域は青森と同様に、1月15日を”オナゴの正月”、この日に先駆けた13日を”オナゴの餅つき”、14日を”オナゴのトシトリ”と呼ぶ。1月1日の”男正月”と区別して、神仏に鏡餅を供え、野菜や豆腐、金時豆など実だくさんの汁や、”坪”(つぼ)と呼ぶ器に入った”ツボッコ”という料理で女たちが一日楽しむ。

 内陸部では、伝統的社会と同様の粥(かゆ)たたき※1、”田植え”などの予祝(よしゅく)儀礼が移住初代から二、三代目へと受け継がれてきた。淡路出身者は小豆粥(あずきがゆ)を作り、「明年ござれ」と粥たたきを行い、宮城出身者はこの小豆粥を”アカツキの粥”と呼んで、注連縄につけて送り、19日には”ダンゴさし”をする。富山出身者は15日をサツキ、あるいは田植えと称し、鍬(くわ)や俵型の団子をたくさん入れたアズキガユと呼ぶ汁粉を作って、田圃(たんぼ)の苗代の代かきの状況を占ったり豊作を祈った。子供たちは、粥を果樹に塗り付けて実が成るようにと願う”成木責(なりきぜ)め”を行った。これらはいずれも豊作祈願の儀礼である。

 日本海沿岸地域では、雪深く波荒い”初午”(はつうま)※2のころに”オシロイまつり”を行う。ニシンの白子(しらこ)が海岸にあふれる姿を模したシトギ※3を顔に塗り、漁師たちが春告魚(にしん)漁の安全と豊漁を願った。シトギは古来からのお供え物で、かつては男手だけで作り祝ったという。まつりはニシン漁で栄えた知内、松前、瀬棚、苫前などでみられたが、今では北檜山町鵜泊稲荷(うどまりいなり)神社だけで行われている。

※1 粥を盛った器の縁をたたいて神々を送り出すという習わし
※2 2月の最初の午の日のこと
※3 吸水した生米を臼でついて丸めた生の団子。これに水を加えてオシロイにする
 
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