北の生活文化(北海道ことばの現在 )

 

 

北の生活文化(北海道ことばの現在 )


 

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 北海道の人々には、自分たちのことばが方言であるという意識が少ない。北海道のことばは、日本各地から移住した人々のことばが混じり合い、新たに誕生したものであり、さらに先住のアイヌ民族のことばが取り入れられている点にその特色を見ることができる。
 
北海道ことばの現在
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99. 大通公園(札幌市)
 世界には数千にものぼる言語があるといわれ、さらに、「方言」と呼ばれる地域的な違いも存在する。例えば、北海道から津軽海峡を越えて青森県へ行くと、そこには違う方言の世界が開け、何を話しているのか聞き取れないことがある。それに比べ、北海道のことばは全国共通語的であり、他地域の人にことばが通じないということはほとんどない。中でも札幌市のことばは、道内各地で最も標準語的とされている。その札幌市はリトル東京といわれ、東京の流行が即持ち込まれる街。東京-札幌間の航空便も世界一のドル箱路線といわれるほどだ。こうして、東京方面との交流が大きい北海道では、そのことばも東京語の影響を受けており、昭和39年(1964)の東京オリンピック以来、爆発的に普及したテレビの効果も手伝い、30歳代以下の人々のことばは全国共通語に極めて近い東京式アクセントを獲得したといわれている。

 しかし、北海道の海岸部のことばは本州などの伝統的方言にいくらか似たところもあり、内陸部のことばは、もともと移住によって本州の方言が混じり合い、変化したものだ。したがって北海道のことばは一見、全国共通語的でありながら、アイヌ語との交流も見られるなど、北海道独自の言語として成り立っている。
 
海岸部のことば
 
 北海道方言全体の母体とも、土台ともいわれる「海岸部方言」。これをさらに「道南方言」と「松前方言」に分けることができるが、その発音は、濁音が多く、鼻にかかる音があること、シとスの音があいまいで、詰まる音や伸ばす音がはっきり聞こえないなど共通するところが多い。

 「道南方言」とは、津軽海峡の対岸、青森県の下北半島の方言の要素が濃厚であり、北海道方言の中でも最も有力な方言だ。その中核は下(しも)海岸のことばであり、代表するものに椴法華村(とどほっけむら)のことばがある。なお、下海岸とは松前を上とし、その反対に位置する函館から恵山(えさん)岬にかけての海岸を下と言い習わしたものだろう。

 「松前方言」は青森県の津軽半島の方言の要素が多い。この伝統的な方言を色濃く残す地域には松前町白神(しらかみ)がある。この地域は明治・大正時代を通じて通婚圏・経済圏が対岸の津軽半島に及んでおり、文化、生活面での影響も大きかった。また、松前藩時代から城下町への海産物・鮮魚の供給地であったため、京都方面のことばを使う商人が多く出入りしたことから、ことばもその影響を受けている可能性がある。

●松前町と椴法華村のことばの違いの例:「から・ので」
 松前町「ムガシカラアッタハンデ」(昔からあったから
 椴法華村「アルスケ イラネ」(あるから要らない)
 
内陸部のことば
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103. 栗沢村(現・栗沢町)砺波(となみ)・大正14年
 北海道の内陸部には、全国からの移住者が集まった。それは、東北地方の出身者を中心とする海岸部と最も異なる点であり、明治から昭和期にかけての内陸部地方への移住者の出身県を見ると、東北の青森、秋田、宮城、北陸の新潟、富山、石川と実にさまざまだ。

 それでは、移住者たちが持ち込んだ故郷のことばは、内陸部でどのような変化を遂げていったのだろうか。

 例えば、屯田兵や単独移民の場合、全国各地出身の人々が一つの集落を結成するため、それぞれの出身地の方言は生活を成り立たせる上で障害だった。そこで人々は、お互いに意思の疎通ができるようなことばを求め合い、共通語化が著しく進むことになった。

 団体移民の場合は、同郷出身者が集落を形成したので、郷里の方言は比較的保たれ、むしろ入植時の困難な状況の中では、自給自足的な生活を成り立たせ、団結力を強めた。しかし、移住者も二世の時代になると、故郷の方言は受け継ぎながら、一方で北海道内陸部方言の形成に参画し、三世(壮年層)では故郷のことばへの意識が薄れて周囲のことばに同化しはじめた。そして四、五世(青少年層)になると「シバレル」「(そう)だべや」「なまら」など地域性の強いことばも使いながら、全国共通語的なことばへと変容している。
 
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