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■北方の島々と北海道との間には古くから交通があり、多くの交易が行われて |
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松前藩が幕府に提出した地図 |
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(18世紀)
■ロシアは、18世紀のはじめ頃から「千島」に進出を開始し、しばしば、探検隊を送り調査しただけでなく、ラッコの捕獲などを行ったこともありましたが、択捉島のすぐ北の得撫島を越えて、南下してきたことは、一度もありませんでした。
これは、江戸幕府が、択捉島及びそれより南の島々に番所を置いて、外国人の侵入を防ぎ、これらの島々を治めていたことによります。
◎江戸幕府の北方領土統治
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年 |
内 容 |
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1754 |
松前藩が国後場所を開設。 |
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1786 |
最上徳内、択捉島に渡り、ロシアの南下の様子を調査。 |
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1798 |
幕府は、択捉島に近藤重蔵らを派遣。 |
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1799 |
幕府は、北方領土を含む東蝦夷地を直轄とする。 |
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1800 |
高田屋嘉兵衛、択捉島に17ヶ所の漁場を開く。 |
■交渉は難行しましたが1855年(安政元年)に、「日魯通好条約」が結ばれ、日ロ両国の国境は択捉島と得撫島の間に決まりました。これにより、択捉島から南は日本の領土とし、 得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領土として確認されました。また、樺太は今までどおり国境を決めず両国の混住の地と定められました。
(19世紀後半)
■1869年(明治2年)、政府は、札幌に開拓使を設け、北辺の開拓に当ることとし、蝦夷地を北海道と改称し、11カ国86郡を置き、各藩に支配させました。
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国名 |
郡名 |
藩名等 |
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千島国(国後島) |
国後郡 |
秋田藩 |
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千島国(択捉島) |
択捉郡 |
彦根藩 |
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色丹島 |
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増上寺(後に稲田邦植) |
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島名 |
郡名 |
町村名 |
摘要 |
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歯舞群島 |
花咲郡 |
歯舞村 |
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色丹島 |
色丹郡 |
斜古丹村 |
昭和8年10月色丹村と改称。 |
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国後島 |
国後郡 |
泊村 |
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択捉島 |
択捉郡 |
留別村 |
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東京宣言 |
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「ボリス・リュウ外交」とクラスノヤルスク合意
■平成9年6月のデンバー・サミットの際には、橋本総理とエリツィン大統領の会談が行われ、非公式首脳会談を定期的に開催することに合意、同年7月橋本総理は経済同友会懇談会において、対露外交・新三原則『信頼・相互利益・長期的視点』を提唱し、ロシア側はこれを積極的に評価しました。
■同年11月東シベリアのクラスノヤルスクにおいて、「ネクタイなし」の橋本・エリツィン首脳会談が開催され「東京宣言に基づき、西暦2000年までに平和条約を締結するよう、お互いに全力を尽くす」との画期的な合意が達成されました。
■平成10年4月、静岡県伊東市川奈において、2回目の「ネクタイなし」の橋本・エリツィン首脳会談が開催され、「平和条約が東京宣言第2項に基づいて北方四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けて日露の友好協力に関する原則などを盛り込むこととなるべきこと。」を確認しました。
また、橋本総理からエリツィン大統領に対し、領土問題解決のための提案が行われました。
■平成10年5月のバーミンガム・サミットの際の日露首脳会談で、エリツィン大統領から、川奈での橋本総理の提案について検討中であり、その回答は秋に予定されている橋本総理の訪露の際に行いたいとの考えが示されました。
「信頼」から「合意」の時代へ
■平成10年11月11日~13日、小渕総理が日本の総理大臣として25年ぶりにロシアを公式訪問しました。
「信頼」から「合意」の時代に入っていくという両国の決意が謳われている『モスクワ宣言』が署名され、東京宣言、クラスノヤルスク合意及び川奈合意に基づいて平和条約交渉を加速し、平和条約を二千年までに締結するよう全力を尽くすとの決意が再確認されました。さらに、平和条約締結に向けた国境画定委員会及び共同経済活動委員会の設置並びに元島民及びその家族による北方四島への自由訪問を実施していくことが合意されました。
また、川奈での提案に対するロシア側の回答が示され、日本側としては、次の首脳会談までに回答することとしました。
■平成11年6月ケルン・サミットの際の日露首脳会談では、小渕総理からの「クラスノヤルスク合意を実現して、国境線を画定し、平和条約を結ぶという歴史的な仕事を大統領としたい。」との発言に対し、エリツィン大統領も賛意を示しました。
■政府は、2000年の早い時期でのエリツィン大統領の訪日による首脳会談を行うよう取り組んでいましたが、平成11年12月31日にエリツィン大統領が辞任し、プーチン首相が大統領代行となり、平成12年3月26日には、ロシア大統領選挙が行われ、プーチン大統領代行が当選しました。
■平成12年4月、サンクトぺテルブルグにおいて、森・プーチン非公式首脳会談が開催され、21世紀に向けた両国の協力のあり方等について、広範な意見交換が行われ、東京宣言、モスクワ宣言等一連の合意及び宣言を完全に遵守していくことが改めて確認されました。
■平成12年9月、東京において、森・プーチン公式首脳会談が開催され、クラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続すること、今日まで達成された全ての諸合意に依拠し、四島の帰属の問題を解決することにより、平和条約を策定するための交渉を継続することなどが確認されました。
■平成13年3月、イルクーツクにおいて、森・プーチン非公式首脳会談が開催され、クラスノヤルスク合意の総括と平和条約問題に関する声明が署名され、今後両国内で更なる交渉を行うことで合意しました。
また、日ソ共同宣言が平和条約交渉の出発点となる法的文書であることが、初めて文書により確認されました。
■平成13年10月、上海におけるAPECでの日露首脳会談では、双方が前提条件を付けずに歯舞・色丹の議論と国後・択捉の議論を同時にかつ並行的に進めていくことで概ね一致し、具体的な進め方については、外交当局間で更に詰めていくことで合意しました。
■平成15年1月、小泉総理とプーチン大統領の間で、「日露行動計画」を採択するとともに、北方四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を可能な限り早期に締結し、両国関係を完全に正常化すべきという決意を確認しました。
■平成19年6月、日露首脳会談において、安倍総理、プーチン大統領の両首脳は2003年の「日露行動計画」の実施状況を確認し、多くの分野で順調に進展が見られるとの認識で一致しました。その上で、平和条約の締結交渉が「日露行動計画」の重要な柱の一つであることを確認し、今後、領土問題の解決に向けて平和条約交渉についても進展を図っていくことで一致しました。
その後も日本政府は、引き続き、ロシアとの間で幅広い分野での協力を進めるとともに、これまでの諸合意及び諸文書に基づき北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を早期に締結するという一貫した方針の下、ロシア政府との交渉を精力的に行っています。
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