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ホーム > 総務部 > 北方領土対策根室地域本部 >  H27遺産事業「北方領土遺産発掘・継承事業報告会」


最終更新日:2016年10月03日(月)

掘り起こす。語り継ぐ。『忘れてはいけない物語』
北方領土遺産を学ぶ

 平成27年度北方領土遺産発掘・継承事業のまとめとして、根室管内の住民を対象に「掘り起こす。語り継ぐ。『忘れてはいけない物語』 北方領土遺産を学ぶ」と題した報告会を実施しました。

【開催日時】
 日時:平成28年3月5日(土) 13時00分~15時30分
 場所:道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ) 交流ホール

 この報告会では、第1部「北方領土遺産って、何だろう」と題し、根室振興局から北方領土遺産発掘・継承事業の概要や目的の紹介、平成27年度に実施した取組や調査の状況等の報告や、北方領土遺産として調査している野付通行屋跡遺跡に関する講演会を行いました。また、第2部「『ソ連軍進駐状況綴』の解説と元島民の証言を聴く」と題し、「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」を元に元島民から当時の状況を証言していただくディスカッションを行いました。

事業報告  
 報告会では、まず、根室振興局職員から平成27年度の事業報告を行いました。
 事業報告では、北方領土遺産調査検討会議や「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」に関する展示会、映画「生命の冠」上映会などの取組状況、調査していくうちに新たに発見した事実、例えば「生命の冠」の撮影スタッフのお世話をしていた方の当時のアルバムの発掘、映画に出演していた方の当時の証言など、事業を通じて発見されたことについての紹介を行いました。 

 
講演会  事業報告の後、別海町郷土資料館石渡一人主幹から北方領土遺産の一つとして調査している「野付通行屋跡遺跡」について講演いただきました。
 講演では、江戸時代末期に国後島へ渡るための要所として設置された野付通行屋の歴史や発掘調査の結果などについてお話していただきました。
 また、野付半島にまつわる伝説「幻の町キラク」についてもお話いただきました。
 講演後には、来年度根室振興局と別海町の共催で実施する「野付通行屋跡遺跡を訪ねる北方領土遺産ツアー」の告知も行いました。
ディスカッション   第2部の元島民とのディスカッションでは、根室振興局職員による「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」の文書の解説と文書に書かれている時期に島の状況はどうだったのか元島民の方に証言していただきました。
 証言してくださった方は、長谷川 ヨイさん(択捉島)、東狐 貢さん(多楽島)、木根 繁さん(色丹島)、野田 花さん(国後島。ビデオ映像による出演。)の4名です。
証言1  長谷川さんは、ソ連軍が島に上陸してきたときのことを「言語も通じないし銃を何度も撃ってきておっかなかった。」と語っています。
 占領後は、若い人は草刈りなどの仕事に連れて行かれましたが、給料はもらえていたそうです。長谷川さん自体は学校がないときは、ソ連兵の床屋さんの手伝いをしていたそうです。食べ物は、日本軍が残していったお米や味噌を分け合って食べていたそうです。
 長谷川さんは「仲良くしてくれたロシア人のお姉さんもいた。自分が引き揚げる時には抱きしめてくれた。今でも元気でいるのかと思うときがある。」とお話されました。
証言2  東狐さんは、ソ連軍が上陸してきた時は祖父母と自宅にいました。3人のソ連兵が自宅に入ってきて、銃で脅してきて、腕時計やライターをよこせと言ってきたそうです。
 東狐さんのお父さんの松太郎さんはソ連軍の許可を得て多楽島と根室を行き来していたようで、ソ連兵から根室に行ったときに犬やラジオの真空管などを買ってくるよう頼まれていたそうです。しかし、お金がなかったため日本兵のお米や砂糖をお金を交換して、頼まれたものを購入し島に戻ってきていたようです。
証言3  木根さんは、ソ連軍が島に侵攻してきた時は学校に行っていたそうで、教室に銃を持ったソ連兵が入ってきたそうです。先生には「なにもないのだからじっとしていなさい」と言われ、ソ連兵が出て行くまで静かに待っていたそうです。
 木根さんは、強制送還により真岡で収容生活を強いられた当時について「食料の配給はあったが、口に合わず、幼い子供や年寄りの多くが亡くなった。」と悲惨な状況を証言してくださいました。
証言4  ソ連軍が上陸してきた時、上陸地点の正面に家があったので、いきなり家に押し入ってきて、兵隊が隠れていないか、兵隊の物はないか聞いてきたそうです。野田さんの親御さんは「兵隊はいない。兵隊の荷物は一切ない。」と答えたそうです。その後、ソ連兵は「あなた達はここ(家)ではなく小屋にいって住みなさい。」と言われ家を追い出されたそうです。
 また、ソ連兵は畳一畳ほどのスターリンの肖像画を玄関に飾って、肖像画に挨拶をして、頭を下げて歩けと言われ、子供ながらにばからしいと思ったそうです。