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最終更新日:2013年2月25日(月)


北の縄文(船泊遺跡(礼文町))


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遺跡紹介




■遺跡の概要

 礼文町船泊遺跡は、島北部の船泊湾に面した船泊砂丘の西側にあり、久種湖と海岸の間に出来た高さ10m前後の砂丘上に立地し、縄文時代中期から後期にかけての土器や人骨が発見される遺跡として知られていました。
 1998年に行われた町教育委員会の発掘では、貼床などを伴う生活面24基、墓壙24基、土壙19基、屋外地床炉29基、集石炉58基などが検出されました。遺物は後期中葉の船泊上層式が中心です。この時期は、南は九州から北は北海道北部まで、統一化された土器文様が見られます。

▲全景

▲土器群

■特徴的な遺構


▲15号人骨

 埋葬された人骨には、ビノスガイの貝殻で作られた貝玉がたくさんつけられており、他の遺跡ときわだった特徴があります。これらの人骨は、顔を東に向け四肢を曲げた屈葬と呼ばれる姿勢です。副葬された貝玉はネックレス・ブレスレット・アンクレットとして用いられています。また腰飾に縫い付けられた場合もあったようです。

■主な遺物


▲貝製装飾品

 大量の貝製平玉とそれを作るために使われた長さ1cm余りのメノウ製のドリルが1万点以上出土しています。貝玉の原料となるビノスガイの貯蔵庫や貝玉作りの作業所もあり、明らかに交易用の貝玉製作が組織的に行われたようです。このような貝玉作りの村である船泊遺跡の7号人骨の胸元から、長さ7.8cm、幅3.2cmの大型ヒスイ大珠が出土しました。ヒスイの原産地は新潟県糸魚川地方と考えられ、礼文島まで直線距離にして1000km以上もあります。船泊遺跡の貝殻装飾品のなかには南海産のイモガイ製ペンダント、タカラガイの装飾品、マクラガイのブレスレットが出ており、当時、遠隔地間において積極的な交易があったことが窺がえます。

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