登録推進協定について

◆縄文からのメッセージを世界へ―縄文世界遺産推進室◆

◆登録推進協定について

 平成23年4月1日、北海道及び青森・秋田・岩手の各県知事、ならびに函館市・伊達市・森町・洞爺湖町を含む関係12市町の市町長は、「縄文遺跡群の世界遺産登録推進に関する協定書」を締結しました。

 平成22年度まで、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の世界遺産登録実現に向けた取組は、主に平成21年6月1日に4道県の知事が締結した協定に基づいて進められてきましたが、平成23年度からは市・町も加わった協定を結び、関係地方公共団体が一層連携を強めて登録の実現に向けた事業を推進することとなりました。平成24年12月からは、「遺跡群」構成資産の追加に伴いさらに千歳市と弘前市が協定に参加しました。

 

◆「協定書」の内容

  「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は、4道県12市町に15件の構成資産が散在する「連続性のある複数の資産」(serial nomination)であり、その登録推進のためには自治体の枠を超えた共同の事業推進が必要とされます。このたびの「協定書」でも前回協定の内容を引き継ぎ、次の事業を共同で実施することが合意されました。

(1)国がユネスコ世界遺産センターに提出する推薦書の案の作成

(2)登録推進のための普及啓発、国際的合意形成等に関する事業

(3)その他世界遺産登録の実現のため必要な事業

 またこれらの事業を統括するため、青森県知事を本部長、他の3道県知事及び4道県教育委員会教育長を副本部長とし、「遺跡群」を構成する15の遺跡の所在する12市町の長・教育委員会教育長が委員を務める「縄文遺跡群世界遺産登録推進本部」が設置されました。

 さらに、「推進本部」の下に「縄文遺跡群世界遺産登録推進会議」と「縄文遺跡群世界遺産登録推進専門家委員会」を設置し、それぞれ事業の円滑な推進と専門的な事項の調査検討を行います。以上の本部・会議・委員会の構成については平成21年の協定内容と変わりません。

 

◆平成24年度の登録推進事業

 登録推進本部が統括する平成24年度の登録推進共同事業の主なものは次のとおりです。

1 推薦書案作成事業

 平成21~23年度に続き、推進会議・専門家委員会の開催、さまざまな課題の調査検討を通じて推薦書案の作成を進め、平成25年度に国へ案文を提出することをめざします。

2 普及啓発、国際的合意形成等に関する事業

(1)普及啓発
◆ 平成23年に続き、登録推進本部の主催する公開のフォーラムを東京都及び4道県内の5会場で開催し、縄文遺跡群の学術的価値の浸透を図ります。
◆ 「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の価値と特徴を象徴的に示すロゴマークを作成し、縄文遺跡群の保存活用・登録推進に関する連携した取組の徽章として活用します。

(2)国際的合意形成
◆ 平成23年度に続き縄文遺跡群の学術的価値に関する国際会議を開催し、海外の専門家を招いて縄文遺跡群の価値についての国際的合意形成を進めます。今年度の会議は北海道でのフォーラム(国際シンポジウム)に併せて札幌市で開催されました。
◆ 世界遺産委員会や世界遺産に関連する海外の専門家会合、世界遺産条約採択40周年記念行事等に参加し、登録審議等の傾向について情報を収集するとともに、縄文遺跡群の価値を周知して登録推進への理解を求めます。

 

◆構成資産の追加と協定の更新

 平成24年12月11日(火)、平成24年度の「縄文遺跡群世界遺産登録推進本部」会議が青森市で開催され、 縄文遺跡群の構成資産として史跡「キウス周堤墓群」(千歳市)、史跡「垣ノ島遺跡」(函館市)、史跡「大森勝山遺跡」(弘前市)の3遺跡を追加することを決定、これを受けて同日付けで新たに登録推進に参加する千歳市と弘前市を加えた4道県14市町の間で「協定書」が交わされました。

 

◆構成資産の追加について

 平成21年6月の4道県協定に基づき、「縄文遺跡群世界遺産登録推進本部」(4道県知事、関係市町長及び道県市町の教育委員会長で構成)のもとに設置された「登録推進専門委員会」(委員長:菊池徹夫 早稲田大学名誉教授)は、文化財保護・考古学・古環境などを専門とする学識経験者7名から構成され、縄文遺跡群の登録推進のため専門的事項について調査検討し、意見を述べることを主な役割としています。

 平成19年9月に関係自治体が文化庁に提出した「世界遺産暫定一覧表記載候補資産に係る提案書」では、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が4道県の12市町に所在する15遺跡から構成されており、平成21年1月に「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の名称で暫定一覧表への記載が実現してからもこの構成を前提とした登録推進事業が展開されていますが、専門家委員会はそもそもこの構成資産そのものが適切であるかどうかについても検討を続けてきました。

 平成24年7月6日に東京都内で開催された第10回専門家委員会は、さらに3件の資産を構成資産に追加するべきとの最終的な意見を示し、これに基づいて登録推進本部から3つの遺跡が所在する道県市に対して意向の紹介がなされました。各自治体から追加に応じる意思が表明されたことを踏まえ、平成24年12月11日に青森市で開催された平成24年度登録推進本部会議は、4道県14市町に所在する18遺跡を構成資産とすることを決定しました。これに伴い、新たに千歳市・弘前市を加えた登録推進のための協定書が同日付で締結されています。

 kiusu.jpg

史跡「キウス周堤墓群」(千歳市)1号周堤墓

 

◆構成資産検討の経過

 平成19年の「提案書」を検討した国の文化審議会の「世界遺産特別委員会」はすでに平成20年9月の時点で、次のよう構成資産検討の必要性を指摘していました。
「真に縄文文化の顕著な普遍的価値の証明に不可欠の代表的遺跡を厳選していく必要がある。」
「縄文時代の文化、生活や社会を説明する上で不可欠ではあるが、構成資産には十分反映されていない分野の遺跡を構成資産として含めることについて検討すること。」
(「我が国の世界遺産暫定一覧表への文化資産の追加記載に係る調査・審議の結果」抜粋)

 平成21年6月の4道県協定に基づいて背治された専門家委員会は、平成23年3月までに6回の委員会を開催し、まず資産の構成がいかにあるべきかという基本的な考え方の整理を行いました。そこでは、世界遺産としての推薦の主題と密接に関連する遺跡で構成するとともに、必ずしも全国に広がる縄文文化の多様な地域性のすべてを網羅する必要はなく、北海道・北東北の遺跡群が農耕・牧畜以前の定住的な文化を立証するもとして日本列島を代表する存在であることを認めたうえで、この範囲に所在する遺跡で資産を構成することが認められました。

 平成23年4月、あらたに資産の所在する12市町も加わって登録推進協定が締結され、これに基づいて専門家委員会の再委託もなされました。これ以降、現状の15遺跡それぞれの資産としての適合性あるいは附適合性、及びあらたに資産を追加するべき遺跡の判断など具体的な検討が深められた結果、冒頭で説明したように第10回委員会で資産追加に関する意見が取りまとめられ、あわせて、当初の15遺跡の一部は発掘調査の追加などによって資産としての適合性が明確になるまで、構成資産としての位置づけを保留すべきとの意見も正式に示されました。その後も専門家委員会は平成25年3月までに計12回が開催され、登録審議のためにユネスコに提出される「推薦書」案の内容検討など、登録推進のための専門的会議を継続しています。 

 平成24年7月意向、追加資産の所在する自治体への意向確認、構成資産として保留された遺跡の追加調査などが実施され、また平成24年9月の国際会議で示された海外専門家からの意見なども踏まえながら、すでに述べたとおり同年12月の登録推進本部会議において、従来の15遺跡をそのまま維持したうえ3遺跡を追加して、最終的に14市町に所在する18遺跡をもって資産を構成することが決定されました。
 追加されたのは、「史跡 キウス周堤墓(しゅうていぼ)群」(千歳市)、「史跡 垣ノ島(かきのしま)遺跡」(函館市)、「史跡 大森勝山(おおもりかちやま)遺跡」(弘前市)の3遺跡です。

kakinoshimamound.jpg 

史跡「垣ノ島遺跡」(函館市)の盛土遺構 函館市教育委員会提供

 

◆追加された道内構成資産

 史跡「キウス周堤墓群」は千歳市中央の馬追丘陵西麓にあり、かつての馬追沼に臨むゆるやかな斜面に「周堤墓」と呼ばれる縄文後期後葉(約3,500年前)の特殊な墓地が8区画、集中して存在します。周堤墓とは直径数mから十数mの円形の竪穴を掘ってその土を周りに積み上げ(周堤)、そうして囲まれた竪穴の底に複数の墓穴を整然と配列するものです。この時期の北海道にはこうした墓地が広く作られましたが、キウスでは周堤を含む直径が75m(1号)、竪穴のそこから周堤の頂上までの高さが5m(2号)い達する巨大な周堤墓が集まり、地表からもはっきりとそれを認められる特異な景観を作り出しています。

 強まで縄文時代そのままの姿で残る大きな構築物として全国的にも例がなく、昭和54(1979)年、49,441平方メートルの範囲が史跡に指定され保存されています。しかし、すでに明治年間からこの周堤墓群を貫いて道路が走っており、現在では大型車両の交通量も多く、その振動や排気ガスなどが遺跡とその環境に与える影響が懸念されます。高速道路の上に環状列石が保存された森町の史跡鷲ノ木遺跡などと同じく、世界遺産登録実現までには道路の管理を含めた保存のための計画・体制の明確化が求められるでしょう。

 史跡「垣ノ島遺跡」は函館市の北東部、太平洋に臨む臼尻町の高台にあり、縄文早期中葉(約8,000年前)から後期後葉(約3,500年前)まで、駒ヶ岳の大規模な噴火の直後を除いて繰り返し人が居住したこの地域を代表する集落遺跡です。中でも、縄文後期のはじめのころを中心に幅25~30m、高さ2mほどの土手のような盛土(もりど)が南北約120m、北西約100mにわたって「コ」字状に築かれ、その内外に住居などの施設が密集しています。

 これまで盛土遺構は多くの縄文遺跡で見つかっているものの、垣ノ島のように大規模で計画性が認められ、かつ住居群などと複合した状況がほぼ完全に残っているものは他にありません。平成23(2011)年2月、92,757平方メートルの範囲が史跡指定を受けて保護され、同年10月には隣接地に「函館市縄文文化交流センター」が開設されて訪れる人も増加していますが、近代の区画や植栽などを整理して縄文遺跡としての姿が理解できるよう整備する作業はまだこれからです。

portalmap.png

カテゴリー

cc-by

page top