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最終更新日:2019年4月10日(水)


北の生活文化(馬橇の発達)




馬橇の発達
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34. 柴巻馬橇の台曲げ 35. 札幌型柴巻馬橇
 明治初期、開拓使は札幌に全国でも初めてロシアから馬橇の製作技術を導入した。これは主な産業技術をアメリカから導入していた当時としては異例であり、ウラジオストクやサハリンのコルサコフを視察して冬の交通・運搬手段として馬橇が便利なことを知った開拓長官黒田清隆(くろだきよたか)の考えによるものだった。

 ロシア型馬橇の製作技術の特色は、太い角材や若木(細い丸太)を蒸籠(せいろう)で蒸して曲げる技術にある。曲物(まげもの)のような薄い板や細い木を曲げる技術は日本にもあったが、馬橇のような太い木材を曲げる技術はなく、ロシア人の直接指導により初めて修得した。ロシア型馬橇を基本型に、その後札幌・青森・函館3型式の馬橇が誕生した。特にロシア型馬橇の直系といわれる札幌型の馬橇(柴巻(しばまき)馬橇)は、初期のロシア型に比べると台木(だいぎ)が太く、先端の曲げもより大きく見栄えがいいのが特徴で、橇も全体に大きく、丈夫になった。

 馬橇製作の職人は、小学校を卒業すると親方の元に弟子入りし、技術を習得した。20歳までに一人前になり、1年間のお礼奉公の後、数軒の職場を渡り歩き、腕を磨いて開業している。10月から12月が馬橇製作の最盛期で、それ以外は馬橇の修理や馬車、荷車、農具の木部(木柄など)などを製作して暮らした。

ストーブの発達
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37. ユンケル
  ストーブ
38. ローランド
  ストーブ
39. 時計型ストーブ 40. 小判型ストーブ
 北海道の最初のストーブは、箱館奉行の命で五稜郭を設計した武田斐三郎(たけだいさぶろう)が、英国船のストーブを参考に図面を作成し、箱館の鋳物職人目黒源吉(めぐろげんきち)が安政3年(1856)に製造したものだった。

 ストーブは明治期後半から大正期、昭和期にかけて都心部を中心に急速に広まった。明治初期には開拓使がブリキ製の薪ストーブを奨励し、明治29年から大正14年(1896~1925)まで札幌で暮らしたアメリカ人宣教師ジョージ・ローランドが作らせたローランドストーブや、ストーブ上部の形から丸型、小判型、時計型と呼ばれる、地元のブリキ職人が製作した薪(まき)ストーブなどがある。なお、ブリキ職人が1日に作るストーブの数は2,3台で、ストーブが作れるようになると、職人として一人前であるともいわれていたようである。

 大正期は、石炭の生産増加と共にドイツのユンケルストーブなど外国製の石炭ストーブが脚光を浴び、大正末期から昭和初期に作られた石炭ストーブに影響を与えた。昭和40年代、50年代には電気ストーブも普及する一方、やがて石炭産業の衰退に伴い、暖房の主流は石油ストーブへと移行した。

 現在は、ほとんどの家庭で石油ストーブや、灯油による集中暖房システムが採用されている。

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