Ⅰ 災害時におけるこころのケア活動
1 「こころのケア活動」とは
非常時の地域精神保健活動としてのこころのケア活動
阪神淡路大震災以来、我が国では、悲惨な体験後の心理的問題やこころのケアの重要性がようやく理解されだしてきた。
しかし、「こころのケア」で意味される内容は多様で曖昧なところがある。現地に赴けばわかるが、被災した人々の苦悩をうけとめ、いくらかの癒しとなるような働きかけは、実は難しい。こころのケアと称し、充分な検証のない特殊技法を駆使する必要はないし、白衣を着てふんぞり返って待つのも、病棟回診のように避難所を回るのもこころのケアとは言い難い。まずは衣食住の確保、安眠、そして生活再建、復旧への動きが中心になる。不安な被災者へのこころのケアは、布団や食事などの物資や安心できる環境の提供と、そこに添えられるやさしい声かけと温かい眼差しに始まる。
本書では、災害時のこころのケア活動を、“被災住民の心理に十分に配慮して展開する、非常時の地域精神保健活動”と考える。これは、通常の保健活動を基盤として、災害時の精神保健の課題を扱う、期間限定的ではあるが、組織的で戦略的な精神保健活動である。
しばしば現地の担当者は、こころのケアが必要な被災者と思いつつ、しなければならない事の多さゆえ、目に見える問題がない人は対応を後回しにしがちである。そして、結局は無対応にした自分を責める。そう悩む担当者もまた被災者の一人なのである。
本書は災害のこのような実態を直視し、具体的で実際的な「こころのケア活動」の模索した。この「こころのケア活動」は、しばしば被災地域外のマンパワーを必要とする。本書でも、多機関から派遣された、多職種が協働する、こころのケアの活動チーム(「こころのケア班」)を編成する体制やその動き方について数多く言及している。
2 災害時に「こころのケア活動」が必要な理由
災害の心理的な負担は、こころの健康障害を引きおこしやすい
災害は、地域住民にとって予期できない出来事であり、災難である。建物の崩壊や家屋の焼失や流失、家族を失うこと、受傷すること、経済的基盤を破壊されること、避難所生活を余儀なくされること、等々。災害は、さまざまなかたちで地域住民に苦痛をもたらす。
その大きな心理的負担が、いろいろなかたちでこころの健康障害を生じさせる。
それまで健康であった人でも、悲惨な場面を体験したり目撃したりすると、それが心理的な外傷体験となる。身体だけでなく、“こころもケガをする”のである。
病気療養中の人は、心身の症状を悪化させることがある。避難所生活のストレスは、高血圧や腰痛を悪化させ、不眠や不安をまねく。長期に生活再建の目処が立たないと、抑うつ性障害が生じることがある。広域災害の長期化はコミュニティを変質させ、既存の人間関係を壊す。そのことで地域住民の飲酒問題、高齢者の孤独、自殺の問題が生じ易くなる。
被災者は、こころのケアの必要性を自覚しにくい
しかしこういう精神保健の問題は、道路や建物等の災害復旧対策のかげになり見過ごされ易いし、被災者自身も次のような心理から、こころのケアの必要性を自覚しにくい。
<被災者の陥りやすい心理>
・ 災害にあえば誰でもこういう気持になるはず
・ 皆が体験しているのだから自分も耐えねばならない
・ 自分が精神異常と思われるのは嫌である
・ 生活再建を考えると弱音を吐いてはいられない
確かに、気持の落ち込み、意欲の低下、食欲不振、涙もろさ、苛立ちやすさなどは、その多くが一時的な反応である。時間とともに、自然に回復することが多い。
しかしストレスが長期化する場合や、個人の心理的ショックの受傷が激しい場合は、医療や心理的援助が必要である。単に自発的判断に任せていれば、上記のような否認の心理から適切な医療やケアにつながりにくく、結果として、長期経過後に深刻な精神的問題(PTSDなど)を持つ人を残すことになる。
3 こころのケア活動の意義
災害時こそ積極的なこころのケア活動が必要である
このようなことを防ぐために、災害時には、応急の救護医療活動に加えて、こころのケア活動をおこなう必要がある。
まず、保健師などの援助者側から出向いて行く活動(アウトリーチ活動)を組織し、被災住民の健康状況を把握する。そこから精神健康の程度を把握し、個別の対策を考える。
被災住民のこころの健康へのこうした取り組みがあることを周知すると、実際の利用度以上に住民に安心感をもたらす。こころの健康の重要性を認識してもらえるよい機会となる。
また災害時の心理的問題を学習する中で、援助自身の心理的外傷の予防や精神健康の維持に、高い意識を持てるようになる。
このように、災害時のこころのケア活動は次の点で大きな意義をもつものである。
・ 医療が必要な人の優先的ふりわけ(トリアージ)の判断
・ 心理的問題を否認している被災者へのアプローチ
・ 被災住民の安心感、安全感の回復への貢献
・ 援助者自身のこころの健康の維持
4 こころのケア活動の基本原則と留意点
保健活動の基本原則を生かす
災害時はスタッフも混乱しがちで、何が大切かを見失いがちである。しかし、平時の1次予防~3次予防の予防精神医学の基本原則は災害時にも応用できる。
<災害時こころのケアの基本原則>
(1)1次予防的対応 被災者(避難者)のストレスに注目し対象地域に予防的なこころ のケア活動を組む
(2)2次予防的対応 被災者(避難者)に生じた新たな精神障害を早期発見し、早期に 個別対応する
(3)3次予防的対応 被災者(避難者)の中で、既に治療やケアを受けながら地域で生 活していた障害者が、避難所や仮説住宅の環境に適応できるように援助する
災害の最中で、自分たちがどのように行動すべきか、何をめざすべきかに迷うときは、いつでも、この原則に図って活動の基本を確認するとよい。
活動の進め方における留意点
災害時の特性を考えると、次のようなことに留意すべきである。
(1)住民の全般的な健康対策の一環として推進する
①災害救助の活動における、保健医療活動の1つとして位置付ける
災害発生時には、防災計画に盛り込まれた種々の対策が展開される。応急の医療を提供する医療救護所の設置や救護班の組織化もなされる。
こころのケア活動は、この応急医療そのものではなく、それらと連携しそれらを補完する活動である。後章に例示するように、被災住民への保健医療活動の1つとして、組織体制の中で位置づけていく。
②一般的な健康状態の把握から、こころのケアを要する状態をひろいあげる
災害発生後、早期から被災住民の健康状態を調査把握し、健康対策を考えていくことになる。この中に精神健康をチェックする機能をもたせ、こころのケアを必要とするケースを判別していく。
(2)災害時に特有な精神保健課題を理解する
①災害時に生じる精神保健上の問題を学習しながら活動する
災害による精神的問題は、外傷後ストレス性障害(PTSD)だけではない。ストレスへの反応、急性ストレス障害、うつ状態などがある。子どもに生じるものもある。
災害という異常なできごとへの正常な反応としてサポートしていくものと、早急に医療へ導入すべきものとを判別していく。問題の理解のために、専門家を活用し、その都度に少しづつでよいから、必要な知識を学習しながら進む。
②時間経過とともに生じてくる活動課題に対応する
被災者の心理は、その後の経過やおかれている環境で多様に推移する。例えば避難所住民の「ハネムーン期」と言われるような、一過性の特徴的な心理現象が生じることもある。こころのケア活動では、このような特徴を理解して活動を考えていく。
(3)活動形態、組織対応、決定システムの柔軟性と応用力
①アウトリーチ活動、ボランティアとの連携などで柔軟に対応する
災害時の活動形態は、刻々と変化する状況に即したものが機動性を発揮する。
他方、行政としての組織形態や組織決定は法的な根拠に基く必要がある。そこを調整する柔軟な判断が求められる。いち早く連携体制を作り上げるには、平時から危機管理システムを確立しておくことが大切だが、危機時にそれらを実状に応じた形で展開する柔軟性や創造力も重要である。
②活動で必要なものを外部に求める柔軟性をもつ
非常時には、活動を自力で準備することはできにくい。調査票、決定書類の様式、広報資料など、活動に必要なツールや、実際の技術、マンパワーを外部に求めるのは恥ずかしいことではない。支援のニーズを自ら発信する柔軟性も必要である。
③立場や決定システムに固執して感情的にならないようにする
普段通りのシステムで動けないことはしばしばある。役割りや分掌などが乱れることもある。平常時の組織上、業務上の弱点は、危機対応モードの業務でいっそう顕著になる。
さらに災害時には、スタッフも感情的になりやすい。疲労してくる時期に、怒り、他罰傾向が出やすい。後述するように、スタッフ自身が被災者という側面もある。災害がもたらす影響の1つとして考え、寛容な気持ちに立ち返ることがたいせつである。
④通常活動への橋渡しを考える
活動では、時間の経過、避難所の統廃合、ニーズの変化に応じて、徐々に課題や組織対応が変わっていく。時間の経過とともに徐々に通常の体制に戻っていく。相当な災害でも、2年を超え特別な活動体制を継続することは少ない。
5 このハンドブックの果たす役割と位置づけについて
北海道では、奥尻島の南西沖地震、有珠山の噴火、台風10号などの被災で、災害時のこころのケア活動を経験してきた。また阪神淡路大震災、中越地震などへの援助者を派遣したことで、支援者としてこころのケアに必要な点を知る経験ができた。災害への対応は、基本的には防災計画等に従って実施される。医療救護活動、保健活動はその一部であるが、こころのケア活動を進めるための組織体制や業務指針を実際的、具体的に記載してあるマニュアルはまだ殆どない。
本書は、防災計画等を補足する「こころのケア活動」実践手引書であるが、全てを網羅する業務要綱ではない。また本書は、数多く刊行されている災害時の心理的問題への解説書でもない。実際に活動を経験した者でなければ気づきにくい事項に配慮した、「活動の手引き書」である。本書では、災害時のこころのケアに関する知見を整理し、現場で必要となる書式(ツール)や情報を折り込み、現場の活動に役立つハンドブックの編集を目指した。
次章では、災害の定義や類型、災害時の心理的な障害に関する知識を簡単にまとめた。
Ⅲ、Ⅳ章では、限られたマンパワーで効果的にこころのケア活動を展開できるように、市町村、都道府県、関係団体などの機関の連携をできるだけマニュアル化してみた。この活動は、お互いに他の機関の役割も把握した上での、連携や対応が大切である。そこで、組織的な連携、関係の具体的イメージを図示した。
また関係機関ごとに、必要とされる役割を、担当者別業務指針としてリストアップした。
さらに、活動の展開の流れをシミュレーションしてもらうために、Ⅴ章では、初動期から統合期までの時系列で、活動モデルを提示し、各時期の各機関と各職種のはたすべき役割を示した。
またⅥ章以後に、その他の必要な知識や情報、医学的知見、活動に役立つ書式、広報資料も加えた。特に子どもの対応については、子どもと接する関係職員にもわかり易いように解説した。
災害時に各機関が自分たちの役割を十分に果たすためには、平時からの準備が大事である。本書は、災害時のこころのケアを仮想体験し支援技術を向上できるように、これまで経験した具体的事例の要約と被災地域の職員がこころのケア活動をふり返った生の声を採録したものを内容に含めた。