北海道江差病院

 病院長コラム

東北大震災・危機管理から思う健康・医療の話: 

想定内か想定外か・・・それは問題だ!? 

2011.11   北海道立江差病院 院長 中田智明

 

もう11月、この時期になるといつもそう思いますね。来月は12月、行楽シーズン・紅葉も終わりかけ、道産子としてはホワイトクリスマスがくるまで、何となく寂しい季節。11月の楽しみはせいぜい、ボジョレー・ヌーボーの解禁くらいでしょうか?こんな暢気なこと言っている場合ではないかも・・・・東北大震災の被災者・福島原発被害者の方々には言葉もありません。衷心よりお悔やみ申し上げます。 

それにつけても、“想定外”が多すぎますね。何事につけ、近い将来のことですら、“予測”が難しいのはわかっています。しかし、基本的に“想定”することと“予測”することは違いますね。“想定外の地震”、“想定外の津波”、“想定外の自家発電装置の破壊”,“想定外のメルトダウン”・・・・。今回の問題では、日本の英知を結集したはずの原子力行政官僚・学術委員・電力会社の専門家たちの“言い訳”と糾弾されていますが無理もないか、と気の毒ながら思います、なぜ想定しなかったかと・・・・。将来の予測には当たり外れがあり、時期がきたら答えはでます(将来の問題なので当たり前)。しかし想定は、現時点で想定するかしないかという現時点での問題で、想定したらそれに沿って今対策を講じるわけです。予測は確率論ですね---確立の高い方を予測する。しかし想定は“現実的な対策”をとることです。今回の場合は“危機管理方法”を確立論から予測(低い確率を無視すること)によって選択してしまい、極めて低い確率であったであろう最悪の事態を想定して行わなかった。したがって必然的に“想定外”の悲劇が生じたと“言い訳”になってしまいました。確率が低くても、破滅的な状況が生じる可能性があればはやり“想定内”にいれて現実的対策をとっておくことが行政・関係者の責任で、時間もお金も人手もかかりますが、まさに経済効率こえて考えるべき危機管理法であることが痛切に認識されました。またそういった想定が震災前において決して無理ではなかった多くのデータ、想定していた(少数)意見がでていたことも報道されています。1000年に1度の災害をいつ・どこでおこるか予測することは現在も将来も不可能でしょう。しかし過去の事例から1000年に1度の災害を想定して対策をとることはできた(できる)はずです。

これは個人レベルでは病気(健康の危機!)についても同じです。私自身も心して危機管理せねばと思います。どなたでもいつか必ず“大きな病気になる・寿命がつきる”と想定しているはずです。しかしそれがいつなのか、正確な予測は特殊な状況を除けば困難です。医学・医療は日進月歩ですが、100%診断できる方法も100%治る治療法も、100%病気を予防できる方法もありません。皆さんわかっているはずですね、そういう“想定”をしているからこそ、たとえ70%、80%の信頼度でも自らできる危機管理として、普段から健康に気をつけ、検診を受け、予防を行い、異変あれば早めに受診し、また生命保険にも入る、なるべく長く元気でいられるよう、経済的にも困らないよう、個人レベルで最大限に備えて前向きに人生を送るわけですね。逆に、いつ来るかわからないその時を(無理に)“予測”して暗く・びくびく人生を歩むのはばかげています。(想定内の)万が一の備えをしつつ、日常生活で最大限の努力は難しいですから、せめて最低限必要な知識と努力で健康を守ることはできます。しかし、最低限といっても個人差が大きいでしょうね。明らかに寿命を短くする喫煙・過飲・過食をしていても本人は止める努力だけは最低限している、という方もいますから(最低努力で最大効果は望むべくもありません)。我々が働く医療従現場でも同様です。最悪(病状の急変・治療困難・鬼籍)を“想定”しながらも、(そうならないように)最大限努力をするわけです。安易に“大丈夫でしょう”と“予測”すると思わぬ“想定外”の事体が自然経過(病気自体の進行)で生じることがあります。当たり前ですが、もともと病院には病状が不明や不安定な方(診断困難、急性疾患、病状の急激な悪化等)、生命の危機的状況が迫りつつある方が多く入院してきますから。いずれにしろ、“万が一を想定”することで危機的状況にも最低限の準備をして、比較的冷静に対応できますし、ご家族にも心構えをお話できます。いわば病院はいつも危機管理の実践の場であり、たえずそういう中で仕事に従事しているわけです。

しかし、確かにいくら想定できても、それに最大限対応するには、十分なマンパワー、資金(人件費・維持費)、設備が必要なのも事実で、採算性を問題にすれば実現は困難でしょう。当院も災害拠点病院に指定されて、いつ発生するか予測困難な万が一に備え準備をしています。しかし、普段は管内唯一の二次救急病院として24時間・365日皆さんの健康の危機管理に“最低限”貢献させてもらっています(本当は最大限に対応したい・・・!?)。医師だけでもここ5年間で3分の2になってしまっていますが、何とかしのいでいるのが現状で、想定できても十分には対応できていない現実に苦慮しています。 はやり正しい想定とそれに沿った行政の施策(国・道・市町村)がなければ、また悲劇を繰り返し、“想定外”と発言し住民の方の批判を受けることになります。このように、病気や医療制度・病院運営についても、正しい情報による現状認識、危機(管理)意識、とりうる行動・対策、将来像を、個人レベルでも、病院レベルでも、いわんや行政(国・道・市町村)レベルでも、“想定”して正しく備えておくことが大切に思われます。


 

 

 

チェンバロの調べと北前船から歴史と文化を考える・北前船プロジェクト=江差編=  

 

明楽みゆき・道立江差病院ロビーコンサート~ 2010.秋

 

今回は、医療から少しはなれた、“住めば都のお国自慢”。

院内ロビーコンサートも今回で12回目。昨年の札幌交響楽団の面々の弦楽四重奏以来の、またまたプロの演奏家をお迎えしての無料コンサート=感謝=。しかも、北海道でも最も古い江差町(元禄時代から関川家が入植~当時の豪華な調度品も残っている)での、たぶん町史上初のプロによるチェンバロ・コンサートが10月22日に開催され、患者さんほか皆さんに楽しんでいただきました。

小生、中学時代からバロック音楽にはまり、瑞々しい・さわやかかつ典雅なチェンバロが大好きですが、なかなか生演奏を聴けません。それでも曽根真矢子さんのバッハのフランス組曲のCDを愛聴したり、日本のチェンバロ演奏第一人者中野振一郎さんを神戸で聴いたり、チェンバロ界・古楽演奏界の世界的かつ歴史的な大家グスタフ・レオンハルトさん(まだご存命です)を札幌キタラで聴いてきました。1年前、偶然札幌で明楽みゆきさんの演奏会を聴き、また明楽みゆきさんの北前船プロジェクトの話題を雑誌・新聞記事で知るようになり、音楽談義と北前船の歴史談義で意気投合。北前船のことなら、是非一度ゆかりの地の一つ江差へもとお誘いし、(厚かましくも、かなり強引に)今回のコンサート企画となった訳です。

 

北前船が大活躍して、北海道のニシンなどの干魚・塩魚・魚肥、コンブ等の海産物を関西へ、そして関西・九州から、途中北陸・新潟を経由して物資(米・酒・陶器・塩・鉄・砂糖・綿・反物・畳表他=江差横山家に記録・保存されています)を北海道へと、運搬したそうです。蝦夷コンブが北陸~京・大坂からさら九州~沖縄にまでひろがっていただけでなく、蝦夷の魚肥が本州の綿・菜種・藍などの商品作物の栽培を増産させ、木綿などの工場生産性をささえていたそうです(一種の産業革命の初期段階でしょうか)。これに伴って産業構造も変化し、人的交流、文化的交流も深まり、まさに日本海(=裏日本ではありませんよ!)文化圏ともいうべき産業、歴史と文化の独自の交流が17-20世紀初頭まで続きました。その産物として、江差追分(本州各地に伝わる追分節が北上とともに進化して最高峰の江差追分が完成!)、京の祇園祭りを模したような370年の歴史と高い格式・伝説を誇る江差姥神神宮祭(毎年8月9-11日盛大に開催)、またニシン蕎麦(京風蕎麦に江差ニシンの甘露煮の絶妙な組み合わせ!)に結実したわけですね。北前船が活躍し江差も繁栄していた17-18世のこの時代、ちょうど海の向こうの遠いヨーロッパでは、クープラン・テレマン・ビバルディ・バッハ・ヘンデル等が活躍し、全盛期を迎えていたのがバロック音楽であり、チェンバロです。このチェンバロを原型に改良され、ピアノ・フォルテそして現在のピアノになりました。だから、チェンバロはピアノの母といわれています。

 

同時代ながらも、互いにまったく関係なく、異なる地域で、異なる歴史と文化を背景に活躍していた“北前船とチェンバロ”。どう結びつくのでしょうか?それはまさに、明楽みゆきさんの存在です。明楽みゆきさんは、京都出身で、現在札幌在住。ご先祖が何と、近江商人の流れをくみ、京都の海鮮問屋を営んでおられて、北前船と深い縁があったそうで、ご実家には北前船の古文書もおありとのこと=驚き=。かつ彼女はチェンバリスト!ここで先の一時代を呼び起こすかのように、明楽みゆきさんを介して、この2つの時代性がつながることになった訳です。“北前船とチェンバロ”のもう一つの共通性は、どちらも一時期多くの人々からほとんど忘れられた存在だったことです。チェンバロはピアノの発達とともに19世紀から1世紀以上忘れられた楽器でしたが、ポーランド人ピアニストのワンダ・ランドフスカが20世紀初頭、チェンバロを復元し演奏会を開きました。これを契機に、徐々に広まり、20世紀後半からはチェンバロ・バロック音楽が今日のようにひろく演奏され、愛聴されるようになりました。北前船は20世紀に入ると、ニシンの不漁と輸送手段の発達から汽船や汽車にとって代わられました。北海道出身者でも、聞いたことはあっても北前船がどんなに活躍していたか、その社会的・文化的意義は知らないでしょう=実は私も無知でした=。この北前船という1本の糸で、京都・関西から北海道に至る様々な土地の人々が長い歴史の一時期、密接に結びつけられ、今につながる食と文化を育みました。このような歴史を見直そうというのが“北前船プロジェクト”でその中心人物が明楽みゆきさんなんです。先の時代をチェンバロの音を通して現代に生き生きと蘇らせ、過ぎ去りし時代の日本海文化圏を想い、その現代的意義を考えてみる、というロマン溢れるプロジェクトですね。明楽さんは、チェンバロをもって、何処へでもでかけます。京都・舞鶴から小樽そして今回江差・松前というわけです。けっして小さくないあのチェンバロを愛車につみこんで、早朝札幌をたって当院に到着し、調弦しているのには驚きました。お昼には、院内のロビーで聴衆をまえに優しい口調の解説をおりまぜながら、優雅にクープランやバッハを弾く姿からは想像できないたくましさでした。

 

 多くの人が生のチェンバロの音やバロック音楽に感激してくれました。演奏会のあとは子供たちがチェンバロに触れて、明楽さんの説明に興味を持ってくれたことも大変成功でした。“灯台元暗し”。地元の人ほど当たり前なためその意義、大切さを忘れていることがあります。北海道の歴史も、ここ江差を舞台した北前船の活躍を抜きには出来ませんし、土方歳三・榎本武揚・開洋丸に代表される幕末の歴史も、道産子も良く知らないのではないでしょうか=恥ずかしながら私自身そうでした=。事実、こういった道南の歴史・文化の話をすると札幌の友人たちは大変関心を持ってくれ、また大変驚いています。住めば都というけれど、単身赴任丸6年たち、皆さんに教えられながら、また不思議なご縁で勉強させていただき、遅まきながらようやくこういった江差の歴史と文化に感じいっています。どんな小さな町、田舎にもそれなりの歴史と文化はあるはず。江差・道南の歴史をあまり知らない方々、若い研修医の皆さん=ここ強調!=、歴史の街・美味しい食と追分の街・夏は美しい西海岸の景色(”この国のかたち”の中では、司馬遼太郎さんはレモン色の夕日の街と表現=随分ロマンチック!=)と、いい温泉を沢山持っている江差に是非一度いらしてください。

 

 

 

地域医療再生プランと道立江差病院のこれから

  ~有言実行の難しさ:ワールドカップと**首相だけじゃない!?~ 2010.6

 

いよいよ今月からワールカップ開幕です。楽しみですね。でも、岡田監督の掲げる4位入賞!私に限らず、絶対不可能ではないにしろ、誰しもいきなり4位!と内心かなり驚いたはずです。夢のある大目標を掲げることは、明るさと勇気を与えてくれます。悪いことではありません、もちろん。しかしその大きな夢が破れた時の失望の大きさを思うと、冷静かつ、痛い思いをしたことのある大人なら本当に大丈夫かなと危惧する気持ちもあるはず(バブル崩壊恐怖症でしょうか?)。ましてや、普段、理想と現実のハザマで悪戦苦闘している実務担当者であれば・・・(これって小生のこと!?) ここにきて日本代表チームの調子が今一だとなおさらで、始まってもいないのに岡田監督を批判する方もいますね。少しでも、鼻をあかして欲しいですね。しかし、指揮官なら、その大きな夢に向け、その困難な道のりを明確に示した上で、実現にむけた綿密な計画と細心かつ着実な行動も示すべきしょうね。ここまで、つらつら書いてきて、これって**基地問題を**までに解決する(理想としては納得できますが・・)と安易に言ってしまって、この極めて困難な問題の本質(国家的安全保障)・これまでの経緯(対米戦略と住民感情)を十分勉強せず(自らそうおしゃっていますね)、その困難さの認識を欠いたまま、約束不履行に陥って各方面から顰蹙をかっている誰かのようにならないか、心配になってきました。

 

医療問題然り。前政権からの予算で(100億円プランは削減され、25億円プランのみに圧縮されましたが)、何と当南檜山二次医療圏(江差・乙部・厚沢部・上ノ国・奥尻)の地域医療再生プランが採択され昨年末厚労省から認可されました。小泉政権からはじまった医療政策で地域医療が崩壊前夜(一部崩壊)でしたから、まさに救いの神か?という思いです。全道21医療圏から2つのみですから、ご努力とご理解いただいた関係各位には大変感謝です(ただしその半分は全道規模で予算がとられますので、実際は約12億円・・・それでも大変ありがたい!)。しかしこのことは、如何にここの地域医療が深刻な問題を抱えているかの証左でもあります。少子高齢化、人口の少ない郡部の不採算地区においても住民の健康(生命)を守ることの重要性は都市部となんら変わりないはず。この当たり前のことに、ようやく少し光がさしてきました(蛇足ながら、多くの政策は、声の大きい都市部の偉い方の意見が通常良く通るものでから・・・これはただの僻(ひが)みです・・・)たとえ医師不足、看護師不足、非経済的でも、一次および二次救急医療は確保しなければなりませんし、妊婦さんや子供の病気は放置できませんし、そのために医師・看護師他職員を(採算度外視で)集めなければ、最も住民の需要の多い二次医療の責任は果たせません。そして当院はその二次医療を守る管内唯一の病院なので、その危機感は極めて大きい訳です。この地域医療再生プランは3本の柱からなっています。1つ目は、当南檜山は3年前から分娩できない、常勤の産婦人科医のいない(週5日の平日外来のみ)唯一の二次医療圏になってしまっており、産婦人科救急に十分対応できず、先に東京都内や札幌市で問題になったような重症な妊婦さんの搬送に救急車で普通に1時間もかかる状況を解消すべく、産婦人科医の常勤化そして分娩再開を目指しています(このご時勢、産婦人科2名必要!)。各種会議や大学関係者にも何度も協力を求めていますが、まだまだは実現のメドは遠いですが、ようやく大きく一歩前進といったところです。2つ目は、地域連携の推進で、各病院のネットワーク化によって、少ない医療機関と少ない医師という医療資源を最大限に有効に生かすためには連携を深め、無駄を省き、かつ患者さんの利便性を高めることです。軽症な方ほど地元の医療機関で、正確な診断、外来専門治療、中等症~やや重症例の入院治療が必要なら地域センター病院へ(つまり当院ですね)、さらに緊急的重症例や高度専門医療が必要なら函館市内というような役割分担を進めていかないと、病院同士・医師同士が疲弊し(共倒れや過労による勤務医の退職助長)、また無駄な医療(医療費高騰)を進めてしまいます。そのため情報の共有化をITの利用で進めます。特に離島を抱えているため、奥尻支援の上でも有効でしょう。遠隔診療までは多くの問題(予算と人材)でまだまだ困難ですが、その前段階になればと期待しています。3つ目は地域に根ざした若い医師の養成です。医師不足がここ数年でこれだけ危機的な問題になった本質的な原因は、まず絶対数が足りないこと、かつ都市部に誘導するような政策・社会環境にした(医師偏在化の助長)ためです。決して医師個人の問題ではありません。そのためには、地域に根ざした若い医師を育成することが重要です。道内ではまだ104病院で336名の医師が不足しており、その7~8割りは内科医です(平成21年4月道の調査)。しかも決して高度専門医療を担う医師ではなく、広く内科一般を外来から入院まで診れる医師の需要が多いのです。このため初期臨床研修2年を終了した医師を対象に総合内科医を養成する3年間の後期研修プログラムを作成し、研修拠点病院として道からも認可を受けることになってします。地域という医療の現場で、住民と蜜に接し苦労して学ぶことで、都市部の大病院では見えない医療の原点や医療に身をささげる楽しさも肌で感じるでしょう。

 以上のことは、立派な目標や計画ができた、予算がついたから、すぐにでもできる、必ず成功するとは限りません。まさにこれからが本当の正念場で、“綿密な計画と細心かつ着実な行動”で実効性をあるものに一つ一つ具体的に地味な努力を進めていかなくてはなりません。根本はいかに人と人との信頼性を構築し、立場を異にしても多くの人が集まって(小さな地域エゴや細狭な考えをすて)、同じ目標・大きな理想を実現すべく協力することが重要です。よく言われるように、何事も壊すのは(壊れるのは)簡単ですが、新しく作る・立て直すには大変な努力と時間と資金が必要です。医療も一緒です。住民、医療従事者、医療機関、行政が同じ目線で苦労を分かち合い、頂上を地道にめざせば、雲も晴れて高いその頂きが見えてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

一般の皆さんにも知ってほしい初期臨床研修医募集への思い

2010 春

 

以下の文章は、平成23年度新たに初期臨床研修を始める、つまり今の医学部6年生を対象に研修医募集にあたって書いた文章(若干加筆)です。若い医師を育てて、一人前にするのには少なくとも卒後5年、常識的には10年かかります。その初期2年間の研修が初期臨床研修制度でH16年義務化されました。このことは当コラムで“院長の近景・遠景・医景雑感2009.8”として以前かきました。今回は研修医向けに書いたもので、私が若い医師に期待していることを述べています。医師不足・不採算医療で経営困難な時代にあっても大事なことは、希望をすてないこと、人を育てることと思っています。一般の方々にも当院の思いをお知らせしますので参考にしてください。

 

*************************************** 

 

研修医のみなさんへ

~若い医師に期待したい高い志し 2010年~ 

2010.4

 

我が国の医療水準は、医療制度(国民皆保険)と医療・医学の急速な進歩、高い教育水準・公衆衛生の知識と経済力(生活水準)の向上によって、今日WHOランキング1位と評価されている。また、医療の高度化と最先端医療をもとめる国民のニーズも相まって、診療科の専門分化が進んだ。その一方で、社会の超高齢化、核家族化、高齢独居老人・認知症・リハビリや介護必要度の高い患者の増加で、医療は地域社会全体とのつながりの中でより広範囲な役割を担うようになった。このような変化は、1980年代の医師・医療費の需給予測を根拠にした医療政策から大きくずれ、その結果として今日の深刻な問題として表面化している医師不足、救急医療・地域医療の崩壊そして小児周産期医療の危機を招いている。こういった歪みが都市部で生じると大々的に報道されるが、実際は医療供給・医療経済力の弱い郡部・地域でより早く深刻に進行してきている。これには、ここ5~10年にわたる医学部定数削減・医療費抑制政策、新臨床研修制度の義務化も拍車をかけ、集約化の名のもと不採算地域・不採算診療科からの医師の引き上げや医療機関の廃止、不合理な医療訴訟の増加による高リスク部門の縮小・廃止(医師ばなれ)、医師不足に伴う医師の過労問題などがようやく社会問題として認識されるようになってきた。

このような社会情勢の変化は、平成16年から義務化された新医師臨床研修制度にも反映され、その当初の目的は地域に根ざして、臨床医として必要な、一般臨床・救急、プライマリーケアで最低限必要な知識と経験を涵養すること”でというすばらしい方針であった(はずである)。しかし実際に生じたことは、従来機能していた地域への大学病院からの医師派遣システムを崩壊させ(大学病院にも医師不足に)、大学病院を含めた都市部の大病院を中心にした研修医の強力な募集(獲得競争・囲い込み)を助長した結果、郡部・地方都市の(研修)病院における医師不足をさらに深刻化し、はからずも先の述べた今日の問題の責任の一翼を担ってしまった。こうした批判もあり、平成21年4月から新医師臨床研修プログラムが若干変更され、より柔軟な研修になった一方で、初期の目的(前傾太字)が曖昧になってしまった。

 

北海道立江差病院の初期臨床研修プログラムは当初より、初期の目的を達成すべく、これまで管理型(基幹型)および協力型(たすき掛け)の研修を開始して、多くの若い医師が巣立ってきいました。当院は南北海道の西海岸にあり、都市部と違い充分な医療資源がなく、今日の医療問題の縮図のような地域において、中規模病院(管内唯一の地域センター病院・二次救急指定)として、一次・二次救急をふくめた日常臨床や臨床研修病院として役割を果たしています。その理由は、このような恵まれた環境にない地域社会の医療現場(日本の現実的な姿)に立って住民の健康を守ることの大変さとやりがいを理解し、医療環境や病院の実情を経験し、医師としていかに地域住民の健康に貢献できるか、地域医療のニーズはどこにあるか、医師として何が必要で、何ができるかを医療の最前線で自ら考え、自ら学ぶいい機会になると考えたからです。これはまさに、新医師臨床研修制度の“初期の目的”に合致するものです。プライマリーケア・全人的医療といった視点は概念的な理解では意味がなく、まさに多くの社会問題をかかえた患者・家族の差し迫ったあるいは厳しい日常の臨床現場でのみ体感し実践できるものです。そのような数多くの経験をできるのが当院の特徴の一つであり、多くの指導医からお膳立てされたトレーニングとはかけ離れたものです。また当院のような中規模病院は、大病院と違い、病院全体の動きがよくわかり、診療科の垣根がなく医師同士やコメディカル等との横の連携もよく、時間外・土日・祝休日は各科連携したバックアアップ体制で24時間、365日二次医療を守っています。このような職場環境は救急医療、プライマリーケア、チーム医療の実践と習得には大変有利と考えます。救急搬送患者における内科系と外科系の連携など、さらに興味があれば、様々な診療科のもとで時間や場所を問わず学ぶこともでき、院内各科の医療現場を経験することができます。ただし、何となく研修・最先端高度医療の押し売り研修・単なる労働力や学生ポリクリと変わりない研修は期待しないようお願いします。一次から二次医療までを担っている当院において、初期の研修2年間ですべての医療技術を修得することは困難です(初期研修も目的でもない)。医療はそう甘くありません。しかし、これからの長い医師人生の中で、当院で2年間学ぶことで、医師としての基本姿勢、学ぶ姿勢を第一線の臨床現場を通して習得し、幅広い視野と見識のある医療人に育っていく礎になること確信しています。

若い時こそ新しい世界に飛び込む・チャレンジできる勇気、若い時こそ失敗も困難も成長の糧にできるチャンス、与えられるのではなく獲得する気概、をもってほしいと思います。医師として、そして人間として高い志しをもって何事にも望めば、将来臨床医として、あるいは医学研究者として、あるいはまた先輩・指導者としても大きく成長性来るのではないでしょか。

元禄時代から始まる歴史、北前船・幕末の動乱・ニシン・江差追分の町、ここ南北海道

から始めよう、地域医療の研修と実践!離島(奥尻)、地域医療センター(江差)、

都市型病院(函館)から高度医療研修(札幌)まで、

バランスのとれた研修で、日本の地域医療を守ろう!!

 

 

 

 

 

 

 

無駄、仕分け作業そして医療 2009.11初冬

 

話題になっている次年度予算の仕分け作業。

第三者として見る分には大変興味深いですね。事実聞きたくても聞けなかったことを聞けたり、一般には知られていない事実が明らかになっています。第三者(非専門家)の直感というのも恐ろしいもので鋭い質問あり、官僚的曖昧さも正されていますね。しかし、仕分けされる側は大変です。公開性・透明性を担保しつつ予算の合理性を、殊に科学技術・学問・医療分野を(ほぼ素人―失礼!―の方に)、短時間で納得してもらうには大変困難であることは容易に想像されます。逆にいうなら、利害関係をこえて(いわゆる族議員の圧力やら縁故地縁ならぬ様々な口利き・前例踏襲主義でお互いの阿吽の呼吸でやっていた)予算折衝を白日の下に照らし、明確な説明をできない予算はつけないとういうのも一つの見識でしょう。でも仕分け作業はいつもやっていますね、極めて個人的ですが。少ないおこずかいを何とかしようとか、家計で優先順位をきめるとか、病院の医療機器購入の予算ぎめ、節約(経費削減)など、いつも頭を悩ましています(これ以上どうやって削ればいいの?)。ただここに第三者の目が入るとある意味恐怖ですね(自分には甘いですから!?)。 

しかし判断基準が目先の利益だったり、採算・効率のみから判断されると科学技術・学問・医療分野は辛いですね。昨年の下村脩博士の緑色蛍光タンパク質GFP)の発見によるノーベル賞受賞のように、基礎的学問は20-30年近くたってようやくその価値が理解され実用化される分野がほとんどです。それでも理解されるだけいい方です!ノーベル賞もらえるんですから(小生、喜んで待ちますね、30年くらい。でもその可能性は全くありませんが・・・)。医療の分野でも、数学・物理・化学などの基礎学問がよりマクロな生物学に応用され、基礎医学に進化し、さらにヒトに応用されて、臨床医学に発展し、診断や治療に応用されてはじめて、医療として実用化するわけです。医学・医療は、このような先人達の長い歴史、多くの学問・技術を背景にした多くの忍耐、地道な努力の結晶なわけです。したがった、この長い多くの研究のプロセスの中で(1987年ノーベル賞医学生理学賞を受賞した利根川進博士がいうように実験の9割は失敗するもの)、近視眼的経済的効率性が大きな判断基準にされた時の危険性は容易に理解できますね。いわゆるライフラインである空気・水・電気(エネルギー)の確保は当然として、生命の危機を管理防衛・対処する医療は危機管理の最も重要なものであるはずです。消防や警察と同様、田舎では非効率で赤字になるから削りますとはならないはずです。医療の格差、すなわち健康(命)の格差はここ数年でたしかに拡大し深刻化しています。ぎりぎり(以下)のスタッフでやっている私の周辺では、社会情勢の負の変化をすぐ被ってしまい、都道府県・市町村レベルの地域間格差、病院間格差、診療科間格差、医師の間での格差、一つ一つ説明する余裕はありませんが、毎日ひしひしと感じています。これは個人、あるいは一医療機関の努力や善悪をこえた大きな視野で判断すべき問題の一つに思えます。その意味では、ヒトとしてもあり方、社会としてのあり方、物事の本質、何が根本的に重要かという“仕分け”作業が本当は必要なのではないでしょうか?

でもすべての無駄は本当に無価値でしょうかね?一見無駄にみえること、あるいは今は無駄にみえても、でも大切なことってありますね。失敗は無駄かもしれないが、そこからヒントを得て成功につながることが多いはず。何もしない時間をもつことの幸せや心のリセットも大切です。他人には無為に見える睡眠が実は脳の休息のみならず脳機能の再構築に重要であるように。また無駄があるから人生にゆとりが生まれ、芸術もうまれる・・・・・以上のことはしばしば叱咤される公立病院(当院のこと)の無駄・非効率運営等の言い訳ではありませんので念のために。

 

 

 

 

 

院長の近景・遠景・医景雑感2009.9

ドクターヘリより防災ヘリの効率的な運用を願う秋~

 

テレビドラマでやっていましたね、イケメン俳優演ずる救急医が緊急要請で的確に指示し、最先端のドクターヘリに颯爽と乗り込み、困難に立ち向かって患者を救う、あるいは離島で悩み困難に立ち向かいながらも患者を救うDr.コトー。正直に告白すれば、私はたいして見ていないのです(ブラックジャック世代ですが・・・)。しかし、こういったドラマがうけるのは、地域医療・救急医療の現場の大変さ・深刻な危機の反映であり、問題提起、こうあってほしいという願望の現われなのでしょう。

全国的にドクターヘリの運用が始まって、平成21年3月末日現在、16道府県18機で、道内においてもこの4月から新たに道北、道東の2箇所加わり3機態勢になっている(厚生労働省と都道府県からの補助を得て運用する救命救急センター補助事業)。しかし実際の運用は必ずしも容易ではなく、先のNHKの報道番組にもあったように、地元負担が大きく(年間2億円近い運航費用、地元で経費の半分を負担、年間5~6000万円の赤字運用、ヘリの運航は民間のヘリ運航会社に委託)、このため実用的な継続性に問題が生じている。さらに問題なのは、実際の運用で、常時待機するパイロット・看護師の確保の他、救急医5名態勢で平日、休日の365日カバーするだけの人員確保はかなり困難である(実際には複数の病院が協力して医師20名前後でシフトを敷いて運用!)。かつドクターヘリは日中、視界良好な中でしか運用できない、つまり有視界飛行できない夜間などの時間帯や悪天候時は無理とのこと。しかし、悪天候・災害緊急時にも対応可能な防災ヘリを、救急車と同様なレベルで活用できればこのような限界はかなり克服することが可能で、きわめて現実的な方策である。山口県では平成15年初めて防災ヘリを救急医療に運用開始し、埼玉県岐阜県などがつづいて消防防災ヘリによるドクターヘリ的な運用を開始している。埼玉県ではドクターヘリが1機あり、消防防災ヘリ2機がドクターヘリのバックアップ体制をとっているという。しかし救急車と異なる問題点は、(1)基本的には消防庁が所管(場合によっては、警察、海上保安庁や防衛省のヘリに依頼)運行になるため、道、市町村等の行政間の調整、基地病院内や病院間の横の連携、緊急連絡網の整備が不可欠である(自衛隊・海上保安庁の出動に当たっては、都道府県知事からの出動要請が必要である)、(2)防災ヘリの確保:政令指定都市の一部を除くと、各市町村消防本部が防災ヘリを保有することは財政上容易ではない、(3)防災ヘリ離着陸に必要な場所の確保が整備されていない(病院に直結したヘリポートでなければ、そこに行くために遠回りするようなら最初から救急車の利用が有利な場合もある)、(4)転送先病院のヘリポート(受け入れ態勢)の整備も同時に必要、(5)同乗医師・看護師の帰院のシステムが未整備である(救命措置しながら白衣のまま同乗して、あとは勝手に帰ってくださいということ!?)。

こういった事情を考えると一見華やかカッコよくみえたこの種のドラマも、私など気ままに楽しめず、医師不足の中、日々苦悶している現状とのズレに違和感をもってしまうわけです、悲しいかな・・・・・

 

 

 

 

 

院長の近景・遠景・医景雑感2009.8

~新医師臨床研修制度の改革に思う夏~

 

平成16年度に法制化され5年を経過したこの制度。「地域医療崩壊・医師不足の最後の一撃となった」と各方面から-----主に大学病院関係者や大学病院に医師派遣を大きく依存していた、つまり多くの郡部市町村の病院関係者ですね-----多大な批判を受けています。今回見直し時期となり厚労省のあらたな改革案にもまた違った方面(多分推測ですが、研修医が十分集まって、この制度をある程度上手に運用し恩恵を受けていきた地区・病院、その多くはいわゆる三大都市圏ですね)から批判を受けています。国民からみると何やら医療界内の身内の争いの風にもみえますが、根はもっと深いのです。北海道には二次医療圏が21ありますが、当院のある南檜山は平成16年人口10万人あたり医師数121人で(・・現在はもっとすくない!)、残念ながら全道ワースト5にいっています。そもそも日本の医師の絶対数が少ないことは国際比較で明らかにされています。先進国は言うに及ばす(日本全体の平均ですら先進国で最下位です)、自由主義国OECD30カ国の最下位グループのトルコ、メキシコ、韓国よりも悪い数字です。つまり、ここ南檜山医療圏は、医師数からみた医療環境は発展途上国並みなのです。これは80年代、当時の厚生省の根拠の不明確な推定から、医学部定員が徐々に減らされ、84年度の8280人をピークに、07年度は7625人となってしまいました(当時の厚生省は将来の医師過剰時代を予測・・・・私が新人医師のころは将来の就職先がないなどと脅かされたものです、今では信じられないしょう!?)。しかし、予想はまったく逆にはずれ、過剰どころか地域医療を担う医師の不足が社会問題化して批判を受けたのは御存知のとおりです。こうして初めて、厚労省と文化省は08年から定員増(168人増)に転じ、今年度は693人増やし、さらに来年度は8855人とすることを決めました。同様のことは高福祉・民主主義の見本であった英国でも80年代のサッチャー政権時代にあり、医療費の過度な抑制・医師不足(・・・・あれ、まったく日本と同じ!?)から今世紀にはいって日本より深刻な医療崩壊(NHS, National Health Serviceの破綻)から医師数50%増に大転換しています。英国の人口あたりの医師数は日本よる少しいい程度ですが、日本の16%増に比べかなり本格的な取り組みをおこなっているわけです。新医師臨床研修制度に話を戻しますと、これによって丸2年間通常の医師の供給が全国的にストップしました。これが医師不足深刻化の第一弾。つぎに約8000人の医学部卒業生に対して、研修医募集は11,000人以上、つまり売り手市場となって研修の条件(施設規模、医療機器、指導医の数、報酬等)・生活環境の便利な大都市部、民間等へ流出していまい、地方都市、市町村で医師不足がさらに助長されたことが第二弾。留めは、従来多くの新人医師があつまり12年の経験を積んで即戦力で地域医療を担ってきた大学病院の医師派遣システムを破壊し、従来地域に派遣してきた医師を大学が引き上げたこと(大学病院も医師不足で機能不全の危機にあったため、やむをえない面もあり)が医師不足を深刻化させました。大学病院だからこそできた、条件の悪い過疎、不採算地区、郡部への医師の派遣(ローテーション)の実績は評価すべきだったですし、逆にこれに頼りきってきたこれまでの行政の医療政策の誤り・無策とその後の展望なき政策転換が今日の問題を深刻化させた一因と思います。このような社会情勢・医療環境激変の5年間で、当院では常勤医は18人から13人と30%も減りました。それでも管内唯一のセンター病院として24時間365日の二次医療、二次救急の責任は放棄できないため、医師、看護師(看護師不足も深刻です!)その他職員は頑張っています。社会の不合理、矛盾を嘆いてため息つくより、一人ひとりの患者さんの笑顔や御理解と御支援が我々の何よりストレス解消になっています。












 禁煙のご案内
院内行事のご案内